2012年12月17日月曜日

旧田中家鋳物民俗資料館での彫金教室



「国内でただ一つ、江戸時代の姿のままで残る鋳物工場」である枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館で一日彫金教室をやっているのを知り、たまたま作りたいものがあったので申し込んだ。 

京阪枚方市駅からバスに乗り、古い町並みを眺めながら走ること30分。JR藤坂駅から歩いて10分足らずのところに資料館はしっとりとたたずんでいた。

資料館の展示内容は期待したほどではなかったが、彫金教室はばっちり元が取れたというか、すでに細かいところまでデザインを決め、パーツまで持ち込んで、2つも指輪をつくってしまった。我ながら嫌な生徒だ。






 

一級技能士の指導と純銀の板がついて、一日受講料は2,300円と市価の半分以下

彫金の他にも表札やランプシェードづくりなど、様々な講座が行われているそうだ。また是非参加してみたい。

枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館:http://www14.ocn.ne.jp/~hirabun/

2012年12月11日火曜日

POMPLAMOOSE:ハッピーな気持ちにしてくれる音楽



 

Pomplamooseパンプルムースフランス語で“グレープフルーツ”)をご存じだろうか?

彼らの公式サイトによれば、パンプルムースとはジャック・コンテとナタリー・ドーンのことで、(米国カリフォルニアを拠点に)二人で「ビデオ・ソング」というものを制作し始めたのは2008年 

その時のルールは2つ:
 

ルール1:画像はすべて実際の録音場面を録画したもの(口パク、エア演奏無し) 
What you see is what you hear. (No lip-syncing for instruments or voice)
 

ルール2:音源すべての録音場面を一部でも見せる(それ以外の音は無し)
If you hear it, at some point you see it. (No hidden sounds)

しかしこれらのルールは破られつつある。ルールというのはそういうものだ
They are now breaking these rules, as rules are made to be broken.
 

その「ビデオ・ソング」を見ると、脱力感(ジャックの実家でクッキーとか食べながら録音してる)と高い音楽性のギャップに驚かされる。

ナタリーは何というか、一見「女Beck」という感じなのだけれど、その歌声やスウィングから、彼女がジョニ・ミッチェルやソロになってからのアニー・レノックスなんかが時折遊びながら吹き込んだような小作品に見られる、あのリラックスした雰囲気に特化した後継者であることがうかがえる。
 

その音楽性を高めているのが、頭頂部まで禿げ上がったマルチ・ジャックで、彼もドラムを叩く際にわざわざ片手にリンゴを持って見せたりしている。


#Another Day(クリックでYouTubeへ移動

時代が進み、こんなにも音楽が消費され、あらゆるメロディーやサウンドは出尽くしたかのように思えるのに、いまだに新しく、ハッピーな気持ちにしてくれる音楽があるなんて。


それぞれソロでも活動しているが、それはそれでまた違う雰囲気になり、特にジャックは器用さが前面に出すぎてサウンドに隙が無く、時に面白味に欠けるかもしれない。パンプルムースの時はもう少し手を抜いてね、ジャック。
 

Pomplamoose公式サイト:http://www.pomplamoose.com/

2012年11月20日火曜日

So happy birthday



 

昨夜は最近お世話になっているコーディネーターのUさんと北浜で打ち合わせ。KAKi作品を見て声をかけてくださって以来、色々な企画をご提案いただいている、貴重な人である。

その前日は軽く仕事をしてからアンティークショップMuse Antiques」さんで作品入れ替えをし、ルシ夫がグループ展に参加した心斎橋のフォトギャラリー壹燈舎」での打ち上げに紛れ込み、その後近くの料理屋で二人の誕生月を祝った。 

その前々日は京都・西陣のおばんざいや空まめ」さんでh design worksさんとランチし、作品を入れ替え、空まめさんに作品をお買い上げいただいたばかりか差し入れまで頂戴した後、叡電で一乗寺へ。駅近くの「むしやしない」というかわいらしいケーキ屋さんを教えてもらい、この店の名物で15,000円も近くするケーキ鍋、「むしやしなべ」に目が釘付けになった

写真↑はそのh design worksさんからいただいた誕生日祝いの指輪。お友達でガラス作家のInoya Makikoさんにオーダーしてつくってもらったとのことお二人のセンスに感服しつ、それから毎日つけている

h design works/interior design
http://hdesignworks.sub.jp/ 

Inoya Makiko
http://inoyamakiko.com/ 

むしやしない:  
http://www.648471.com/

2012年11月13日火曜日

翻訳者オフ会と鬼海弘雄写真展『PERSONA』



 

先々週、大阪・新世界にて翻訳者オフ会なるものに参加した。

集まった6人はそれぞれ英語、ロシア語、中国語、フランス語が専門で、分野もバックグラウンドもばらばら。翻訳会社経営者や兼ミュージシャンの方もおられ、多様な顔ぶれだった。
 

このメンツで串カツ片手にしゃべるわ、飲むわ。しかも仕事の話はつーかーで、胸のすく思いがした。
 

よく考えたら、セミナーやワークショップ以外で同業者と交流するのは、長い翻訳者生活においてこれが初めてかもしれない。昔はこういう集まりが苦手だったが、そう悪くないものだと認識を新たにした

先週は、兵庫県・伊丹市立美術館にて鬼海弘雄写真展『PERSONA』を観た。実家がすぐ近くなので、この辺りはちょくちょく訪れる。


鬼海作品はかなりのパンチがあった。特に浅草やその周辺に棲息する人間を撮ったペルソナ・シリーズ。怪しげな商売人やホームレスらしき人々、女装趣味者も大勢含まれている。こうしたワイルド・サイドを実にかっこよく、ひとりひとりがドラマの主人公でもあるかのように撮る

実際、私たち誰もがそれぞれの人生ドラマの主人公なのだ。だから胸を張って、精一杯毎日を生きる―――被写体の強い眼光は、そういう鬼海氏の信念の表れかもしれない 

KAKiブログも久々に更新しました↓ 
http://kaki-apple.blogspot.jp/ 

伊丹市立美術館: 
http://artmuseum-itami.jp/

2012年11月1日木曜日

『ル・コルビジェの家』と超・切り絵



久しぶりに大阪・梅田ガーデンシネマに出かけ、アルゼンチン映画『ル・コルビジェの家』(原題:El Hombre de al Lado -隣の男-)を観た。ル・コルビジェといっても、別に歴史的建築学的作品でもなんでもなく、「被害は避けられない(Las Victimas No Se Eligen)」とサブタイトルにもあるように、ややこしい人間ドラマだ。
 

次から次へと起こる隣人との厄介なトラブル。主人公は神経衰弱ぎりぎりまで追いつめられる。しかし観る側は深刻になるどころか、だんだん笑いがこみあげてきて、これはしてやられた、という気持ちになる。絶妙なセンスの持ち主らが集まって、「こういうシチュエーションって最悪だけど、あるよね?」とげらげら笑いながら撮ったような作品。最後のエンドロールまで見事だった。

その他、別の日に兵庫県立美術館で観た『バーン=ジョーンズ展』(イケメン揃い)や、h design worksさんに連れられて京都・高台寺で鑑賞した切り絵画家の蒼山日菜の個展もよかった






0.3mmの線で描いた細密画を忠実に切り抜く彼女のレース切り絵は、もはやアクロバットというしかない(実際、シルク・ド・ソレイユのポスター等にも採用されたらしい)。


切り絵を鑑賞した後は、h design worksさんとライトアップされた京都の秋の夜の風情を堪能した。

2012年10月15日月曜日

マイ・ライト・ハンド




先日、編集者兼ライターの二村志保氏と天満橋でランチをいただきながら、仕事と健康という二大テーマについて語り合った(恋愛と美についてはほとんど話題にならなかった)。

健康面において今一番自分を悩ませているもの、それは右手首の痛みである。「手根管症候群」とも呼ばれるこの症状、原因ははっきりし過ぎるほどはっきりしている:

いい加減、手を酷使するのをやめなさい!(他が原因でなる場合も多いのでご注意。)

二村氏も笑っていたが、朝から晩までPCのキーを叩き、それが終わったら猛烈な勢いで野菜を刻み、余暇はアクセサリーをせっせと作っている。先週末は実家においてあるピアノを数時間も弾いた。筋トレと称してウェイトを持ち上げるわ、腕立て伏せはするわ、自分が手なら、とっくの昔に反乱を起こしているだろう。

特にアクセサリーは、最近ブログを更新していないからといって、もう早飽きたんだろうなどと思わないでいただきたい。この間ひたすら新シリーズの商品開発に取り組んでいたのだ(KAKiブログ参照:http://kaki-apple.blogspot.jp/)。

手が動かなくなったら、生活のすべてにおいて待ったなしに困る。とりあえず、今晩から手を使うのを控えよう。用事のある方はできるだけメールではなく、電話をください。

2012年10月9日火曜日

考えごと



 

先日、初めて福島原発事故関連の案件が入ってきた。放射能汚染の心理的影響に関するものだったが、事故から1年半以上が過ぎ、データの蓄積に伴って、今後こうした報告が増えてくると思われる。

しかし、そのような生々しい報告に対する世界の関心はというと、人間自分がイタい思いをするまでは、所詮は対岸の火事。 チェルノブイリ原発事故にしても、同国の報告書に対する国際機関の態度は、科学的慎重さというより、無関心が先立つように見える。

日本も例外ではなく、以前はチェルノブイリなど、社会主義国家のありえない不手際が招いた事故として、冷ややかな目で見ていたのではないだろうか。

その昔、仕事でスロヴァキアの田舎へ行った際、黒く美しい森を指しながら、地元住民が「ここで採れるきのこや木の実は最高だった。でも今じゃ放射能に汚染されているから採取は禁じられている。老人達は採って食べてるけどね」と話してくれたのを思い出す。

その時、この人たちはロシア人のことをどう思っているのか、考えるだけでも暗い気持ちになったが、この図式でいうと、今回の原発事故について日本人は、ただ被災者・被害者として発電所、東電、日本政府ら悪玉に腹を立てているだけでは済まない立場にある。

2012年10月1日月曜日

浅山美由紀展:BORDER 〜永遠に変わらないものはない〜





この土曜日は京都・西陣の空まめさんでKAKi作品の入れ替えをし、心のこもったおばんざいとおもてなしで心身ともに養われた。


その後、ワクワクしながら大阪に出向き、関西ではわりと名の知れたアーティスト・浅山美由紀氏の久々の個展『BORDER ~永遠に変わらないものはない~』を観た。これまでインスタレーションやオブジェが中心だった氏の、初のオール平面作品展となる。

BORDER、すなわち「境界」。この言葉をどう解釈するかは観る側の自由だが、もともと細胞などの有機的モチーフの目立つ浅山作品にあって、今回もまず浮かんだのが「細胞壁」としての境界線だった。内外の圧の違いに乗じて必要な物質を取り込み、増殖・拡大し、不要なものは排出する。

この境界線が、東北大震災によって、そして自身の最近の治療体験によって、揺らぎ始めたと浅山氏は語る。



     浅山氏のアーティストトークの様子
 


たしかに、細胞のような細かいドットは、線の内外にうごめきながら分布している。細胞壁同様、境界線には目に見えない小さな穴が無数に開いていて、有機的交換(交流)がなされているようだ。いや、あるいは最初から、内外などという境界はあいまいでしかなかったのか。

もうひとつ感じたキーワードがある。それは「自己治癒(セルフ・セラピー)」。脳血管障害や精神疾患のためのリハビリテーション・アプローチとして、点描や貼り絵などの繰り返し作業が用いられることが多いが、今回作品群に描かれた無数のドットに、大病を患った氏の自己治癒プロセスを垣間見た思いがした。このような形で提示されたプロセスは、特に自己治癒を必要とする者にとって、感覚レベルで理解できる一つの道標となる(たとえば草間彌生が先駆けて実践しているように)。

ドットが描き入れられなかった余白部分は、波にもまれ、潮に浄化されて、白く強くなった貝がらを思わせた。
 

大阪・天満橋のあーとスペース夢玄にて、10月7日(日)まで開催中↓


 

浅山美由紀ブログ:  
http://www.eonet.ne.jp/~blcart/diary/diary.htm

2012年9月26日水曜日

免疫の秋




昨日は久々に阪大他主催のアートエリアB1で、「サイエンスカフェ・オンザエッジ10 ~ノーベル賞でたどる免疫学の歴史~」を聴講した。


免疫学は以前から特に興味のある分野の一つで、昔たまたま目にした免疫関連の専門用語が、「大食細胞」だの「キラー細胞」だのと何となく面白そうだったので医学翻訳をやり始めたといっても過言ではない。

そのようにして踏み出した一歩を決定づけたのが、優れた免疫学者にして文筆家だった故・多田富雄の『免疫の意味論』(青土社)。こんなに読ませる医学書は他にないというぐらい、文章がうまく、分かりやすい。読者はまるで千夜一夜物語でも読んでいるかのように、めくるめく免疫の世界に引き込まれ、魅了される。人間の身体は神の神殿とはよく言ったものだが、免疫はまさしくその御業。「免疫=神」なのである。

ところでこのアートエリアB1、色々面白い試みをやっていて、自分もこれまで編み物カフェ、参加者による自主映画の制作、問題作『精神』の上映&討論会、哲学カフェなど、10回近く参加してきた。

この秋も色んなイベントが開催される予定だが、他にも多々行きたいところがあり、なかなか参加できそうもない。1年前に見学に行ったきり、ずっと棚上げにしていた美術教室にも来週から通い始めることだし、秋大好き人間はこの時期、異様に活発化するのだ。

2012年9月18日火曜日

まっきーのヨイトマケ




  
ほぼ同い年の槇原敬之がデビューした時は激しく嫌悪した。大学のゆるいイベント・サークルに必ずいそうなタイプ。それがひたすらストレートに、フラットに、「どんな時もー、どんな時もー」としつこく繰り返す。

自分が苦手ということは、時代の主流ということに違いない。実際、彼のこのデビュー曲はトレンディー・ドラマの主題歌にまでなって、どんな時もどんな時もついてきた。  

あれから20余年。美輪明宏が作詞作曲したものを彼が歌って現代に甦らせた『ヨイトマケの唄』を好んで聴いている。美輪版を聴くと内臓がでんぐりがえって死にそうになるが、まっきー版ならさらっと聴ける。感動して流す涙もさらさらしている。自分もよく、母ちゃんの働くとこ見たもんなあ。

許容範囲が広がるということだけでも、歳を取るのはいいもんだ。
 
* * * *
 

ヨイトマケの唄 by 美輪明宏
 

父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
 

今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の ひるやすみ
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が

子供の頃に 小学校で

ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た

姉さんかむりで 泥にまみれて

日に灼けながら 汗を流して
男にまじって 網を引き
天にむかって 声をあげて
力の限りに うたってた
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た

慰めてもらおう 抱いてもらおうと

息をはずませ 帰ってはきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も 忘れはて
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら

あれから何年 たった事だろう

高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労苦労で 死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿

何度か僕も グレかけたけど

やくざな道は ふまずにすんだ
どんなきれいな 唄よりも
どんなきれいな 声よりも
僕をはげまし 慰めた
母ちゃんの唄こそ 世界一
母ちゃんの唄こそ 世界一

今も聞こえる ヨイトマケの唄

今も聞こえる あの子守唄
 

父ちゃんのためなら エンヤコラ
子供のためなら エンヤコラ

* * * *

 

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「作品紹介2012年9月20日」
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2012年8月31日金曜日

KISSの『ベス』にみる男女のすれ違い






















ヘヴィメタルやハードロック・グループのアルバムにはバラードの名曲が入っていることが多い。KISSの『ベス』もそんな一曲。 

こないだpodcastで70年代ロックを選んだら、「やあ、これはクラシック・ロックのチャンネルだよ!」というMCの後にこの曲がかかり、久々に聴いた。そうか、70年代ロックはもはやクラシックなのか。

* * * *
 

Beth by KISS

Beth, I hear you callin'
But I can't come home right now
Me and the boys are playin'
And we just can't find the sound


Just a few more hours
And I'll be right home to you
I think I hear them callin'
Oh, Beth what can I do
Beth what can I do


You say you feel so empty
That our house just ain't a home

And I'm always somewhere else
And you're always there alone


Just a few more hours
And I'll be right home to you
I think I hear them callin'
Oh, Beth what can I do
Beth what can I do


Beth, I know you're lonely
And I hope you'll be alright
'Cause me and the boys will be playin'
All night


ベス、また君から電話がかかってきた
でもまだうちには帰れないよ
こっちは曲づくりの真っ最中で、
しかもなかなかまとまらないんだ


あと数時間きっと帰るから
ああ、連中が呼んでいる
ベス、俺はどうすりゃいい?
一体どうすりゃいいんだ?


虚しいのと君は言う 
うちは家庭らしくないからと
俺はいつも出かけていて
君はいつも家にひとりぼっち
 

あと数時間できっと帰るから
ああ、連中が呼んでいる
ベス、俺はどうすりゃいい?
一体どうすりゃいいんだ?


ベス、君が寂しいのはわかっている
頼むから機嫌よくしていてくれ
だって俺たちはどうせまた

一晩中演るだろうから
 

* * * *
 

曲調も切ないが、男女の典型的なすれ違いを歌い上げた内容も切ない。女からすると、最後のフレーズは男の勝手さを実によく表しているように思える。

そういや、Freeの『Woman』という曲でも、「俺のもの、全てお前にやろう。ギター以外はね。あと、クルマも」というくだりがあるが、曲調がハードボイルドでかっこいいだけに、いつもここを聴くたび、なんじゃそりゃ、とちょっと笑ってしまう。もう、男ってやつは!

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2012年8月25日土曜日

フランクルの『夜と霧』






















先日、たまたまNHKの番組(100分de名著:Eテレ毎週水曜日11:00~11:25)で高名な精神医フランクルのベストセラー、『夜と霧』が取り上げられていたので、思わず見入った。

この本はかなり昔、いわゆる「アウシュビッツもの」を読むのが辛すぎてダメだった時期に、一度手に取りながらも書棚に戻した記憶がある。

でも今回はぴんと来たので、即座にアマゾンに注文した。数日後、ちょうどそれを読み終わる頃には、ルシ夫が申し合わせたように同番組のテキストを買ってきた。

そんなわけで、ここ最近はフランクルの思想にどっぷり浸かっている。

『心理学者、強制収容所を体験する Ein Psycholog Erlebt das Konzentrationslager 』という原題のこの本は、ナチス収容所での体験を内側から見た貴重なドキュメンタリーだが、その内容は決して専門的、あるいはジャーナリスティックなものではない。

「言語を絶する感動」と評され、新訳者をして「そこにうねる崇高とも言うべき思念の高潮に持ち上げられ、人間性の未聞の高みを垣間見た思いがした」と言わしめたように、テーマは普遍的である。人間の偉大と悲惨をあますところなく描きながら、読後に一生分の希望をもたらす。

こんないい本に出会えて、今年はなんていい年なんだ(どうりで色々と悩み深いと思った)。しかもまだあと4か月も残っている。ちなみに、「100分de名著」のフランクル特集もまだあと1回残っている↓ 

NHK「100分de名著」8月の名著:
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/index.html#box04

2012年8月16日木曜日

魚肉ソーセージの呪い



Fish Sausage Man











 

昔から魚肉ソーセージというものが苦手だった。かまぼこのような練りものなのに一見ウィンナーという、訳の分からない位置づけ。空腹であればそれなりに美味しいが、そうでない時は平凡すぎて見向きもしない。

しかも、どうやって開けろというのか。見よ、この取りつく島のない、厳しく完結したデザインを。どこにも開封口はなく、そこに導くヒントさえ見当たらない。これを給食に出された日には、どんなに育ちのいい子どもでも野生児のように丸ごと口にくわえこみ、先端を犬歯か奥歯に挟んでぎりぎりと捻じり切るしかなかった。この蛮行によって、私たちの歯の健康は大きく損なわれた(かもしれない)。


 


消費者団体からの強い批判を受け(たかもしれない)、いつの頃からか、先端近くに小さな開封用のテープが貼られるようになった。私は喜んだ。これでやっと魚肉ソーセージ開封という苦行から解放される。 

成人した私は、「奥歯ぎりぎり捻じり切り」による自己のイメージダウンを嫌い、もっぱらキッチンばさみを使用するようになっていた。中央の縦線を残して先端を切り、それを指に挟んでつつーっと下まで、いわばバナナの皮を剥くような要領で。

しかし現実はというと、この縦線は強靭な接合部であるからして、つつーっとは破れないばかりか、ひどい場合は中身まで巻き込み、ぐちゃぐちゃになったりぽっきり折れることもしばしば。最初からキッチンばさみですぱっと縦に切り込んだ方が早かった。「手軽なおやつ」にここまで手間暇をかけていいのだろうか、という疑問を残しつつ。

平成以降の新デザインによって、魚肉ソーセージは真の「手軽なおやつ」となり得るか。私は期待に胸を膨らませながら、小さな赤いテープをぐいと引っ張った。テープは簡単に取れた。

・・・・・・・・・
・・・で?

見るとテープの下には、小さな横の切り込みがあるばかり。この切り込みを、一体どうしろと?

しばらくしてから、私はよろよろとキッチンばさみを取りに行った。

p.s. 誰か魚肉ソーセージのいい開封方法を知っていたら教えてください。

2012年7月28日土曜日

チェブラーシカとKATAGAMI Style展




















 


少し前になるが、滋賀県立近代美術館で開催中の『チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち』を観た。特にチェブラーシカ・ファンというわけではなく、どちらかというとこの美術館や周辺の公園、茶室、図書館が好きで時々通っているからなのだけれど、ロシア人のチェブ愛の深さやアニメにかける情熱を知る、いい機会となった。

チェブラーシカのアニメ版を撮ったロマン・カチャーノフ監督によれば、チェブラーシカは友好のシンボル、いわば「仲良し大使」なのだそうだ。また、チェブラーシカの意味は、「ぐらぐらしていてすぐに倒れる人」。英語の"topple"(ぐらつく)に相当することから、当初英語版では「Topple」という名前だったらしい。

今週はプロジェクトを一つ成功させて晴々した表情のh design worksさんと、京都国立近代美術館で開催中の『KATAGAMI Style:世界が恋した日本のデザイン』を観た。優れたデザインから受けるインパクトに加え、インテリア・デザイナーとしての彼女の専門的視点はとてもためになった。

あまりの暑さに鑑賞後は二人でカフェに駆け込み、貪るようにかき氷を食べた。ランチに連れて行ってもらった岡崎公園近くのオステリア・オギノのアイスコーヒーも絶品だったなあ。

『チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち』@滋賀県立近代美術館: http://www.shiga-kinbi.jp/?p=16168

『KATAGAMI Style』@京都国立近代美術館:
http://katagami.exhn.jp/outline/index2.html

2012年7月23日月曜日

鴨川デルタを見下ろす夏空

「おい、行くぞ」「暑いから、もうちょっと」

















この週末は茶会をしながら京都文化を考察する集まり(タイトルはそのイベント名)に紛れ込み、出町柳や一乗寺の雰囲気ある街並みを散策した。

途中やむを得ず、若いメンバーたちの後ろから鴨川の飛び石を飛んで渡った(ここで落ちたら洒落にならない)。叡山電車の一乗寺駅で降り、恵文社で文房具やアクセサリーやカバンを、また途中のアンティークショップで緑がかったびいどろの一輪挿しを買い求めた。 

「京都や中崎町のオサレなカフェでまったりする」ことにどこか相容れないものを感じ、「しゃららら系」と呼んで人知れず一線を画してきた自分だが、歳を取ってきたせいか、だんだん人の価値観を批判することに抵抗を感じるようになってきた。いいじゃないか、オサレでも。おいでやす、京都。カフェめぐりのどこが悪い。 

自分の周りには、昔からなぜかこの「しゃららら系」の人が集まってくるのが不思議でたまらなかった。しかも彼らは、こちらを同好の士と見ているふしさえあるのだ。

ひょっとして、自分も本当は「しゃららら系」?それを自分嫌さから、素直に受け入れられなかっただけだったとしたら・・・。   

帰りの電車を待ちながら、ひとりそんなことを考えていた。

2012年7月5日木曜日

優雅な生活が最高の復讐である















 


最近の自分のドタバタは、優雅な生活とは程遠い。親からは、「何事もほどほどにしておきなさい」と口を酸っぱくして言われている。朝はできるかぎり早くから、晩は目を開けていられなくなるぎりぎりまで、とにかく起きていたいのだ。やりたいことがあるから。

優雅ではないが、これが自分なりのliving wellなのかもしれない、"living life to the fullest(最もフルに生きる=精一杯生きる)"って言うしね、などとひとりごちてみる。

なぜ優雅さにこだわるかというと、愛読書の一つに『優雅な生活が最高の復讐である(C・トムキンズ著、新潮文庫)』というタイトルの本があり、これがいつのまにか座右の銘のようになっているためである。

背表紙には、「あのフィッツジェラルドが憧れ、『夜はやさし』のモデルにしたという画家ジェラルドとセーラのマーフィー夫妻。1920~30年代の文化人たちの群像を浮き彫りにしたノンフィクションの名著(一部略)」と書かれている。フィッツジェラルドとは、もちろんあの『華麗なるギャツビー』の作者のことだ。

芸術に造詣が深く、人柄やウィットにも恵まれた上流階級者マーフィー夫妻は、フランスでそれは優雅な生活を送っていた。しかし後半、ドル大暴落後の長い不況時代に突入するや否や、次々と不幸が降りかかる。子供も、3人のうち2人までも短期間のうちに亡くしてしまう。

しかし、マーフィー夫妻はめげなかった。「夢の家の屋根が美しい居間に崩れ落ちてきたとき、最高に勇敢だった」。

復讐とは、おそらくこの過酷な人生への復讐を意味するのだろうが、優雅に生きることでなされる復讐は、苦しい時ほどインパクトが大きいということを本書から学んだ。忙しい時、焦り不安な時なども同様かと思う。


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2012年6月25日月曜日

持つべきものは: 鍼と空まめ














 



家から駅まで歩いて6分。しかし最近、途中で好きな野良猫を追いかけ回すようになったので、15分前には家を出なくてはならない。

先週木曜日、COPD(慢性閉塞性肺疾患)に悩む義父を治療するため、鍼灸師兼ギタリストのチェリー江口がやってきた。無理な頼みを快諾し、大雨の中をはるばる神戸から

彼にはこれまでもたびたびお世話になっていて、初めてぎっくり腰をやって動けなくなった時は、医者に行くよりもまずSOSメールを打って指示をあおいだ。音楽面でも、たぶん自分の耳の5分の1ぐらいは彼につくってもらったように思う。大学では少ししか一緒じゃなかったのに、その後えらく長く付き合ってもらっている。

今日は今日で、税務署の記帳指導がきっかけで仲良くなった税理士のSちゃんに連れられ、京都市上京区のおばんざいや「空まめ」さんへKAKiアクセサリーを納品してきた。彼女の口利きで、ここで作品を販売してもらえることとなったため。オーナーのお人柄や店の雰囲気もさることながら、おばんざいの味も素晴らしく、今年の結婚記念日はここで祝うしかないだろう。 

空まめさんを出た後は、Sちゃんのお姉さんご夫婦がやっておられる宇治茶のお店でデザートをいただいた。皆さんご紹介いただき、大変満たされた気持ちで帰ってきた。帰りも少し野良猫を追いかけ回した。 

江口鍼灸・指圧院: 
Tel: 090-2287-4088

季節の台所 空まめ: 
京都府京都市上京区元中之町516-4
Tel: 075-441-3676





2012年6月14日木曜日

Muse Antiques



 

先月末、自宅から歩いて10分ほどの大通りに素敵なアンティーク・ショップがオープンした。それだけでも十分いい話なのだけれど、自分にとってはさらに喜ばしいことに、ここでKAKiのアクセサリーを販売してもらえることになった。


店内の様子


魅力的な家具やインテリアが並ぶ
 

たまたま前を通りかかって中に入り、美しいマダムの説明を聞いていたら、あれよあれよという間に話がまとまったという、まるで奇跡のような展開。その夜、「KAKiの作品を置いてくれる店がもう一つ見つかりますように」と書いて貼っていた紙切れを外した(こういう紙切れがあと3枚机の前に貼ってある)。


用意してくださったスペース

 
KAKi作品

それで早速作品を持っていくと、マダムのご主人をご紹介いただき、和気あいあいとした雰囲気の中で展示や販売方法などについて話せた。

気さくでおしゃれな金銅(こんどう)ご夫妻。店に置いてあるアンティーク家具や小物は、どれも上質なのに驚くほど良心的な値がついている。自分もイギリス製のアンティーク・レースを買い、自宅のリビングに飾った。これからが楽しみだ。
 

Muse Antiques:
大阪府枚方市楠葉朝日2-12-5
Tel: 072-850-9203
http://www.muse-ant.com

2012年6月3日日曜日

Classic FM




















翻訳する時以外、部屋にいる間は大体ラジオでクラシックを聴いている。お気に入りのステーションは、iPhoneアプリの英国「Classic FM」。選曲が好みなのもあるが、解説や途中のニュース、CMを聴いて、英語のヒアリング力を維持したいという下心もある。

時差のせいで、こちらがそろそろリラックスする頃に「それでは今日も元気よく一日を始めましょー♪」と威勢のいいマーチなんかがかかるのが少々難だが、全体的にイージー・リスニングなのであまり問題にならない(リスナーにお年寄りが多いせいか)。女王関連イベントのニュースが多いのもお国柄である。

このClassic FM、最近やたらと日産とホンダとレクサスとタキヤのCMが入るのだが、これはたまたまなのだろうか?英国のクラシック音楽愛好家には日本製品びいきが多いなんて話、聞いたことないが、そういう関連付けをしたくなるほど日本製品が宣伝されるのが不思議だ。

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2012年5月20日日曜日

浮遊ガール



 

この金曜日は、フリーのライターとしても活躍中の編集者・二村志保氏の出版社で仕事の相談。その後は近くに勤めるルシ夫も加わり、証券ビル下のおばさん居酒屋で酒盛りしながら、二村氏のためにKAKiの即席展示会&販売会をやった。5点もお買い上げになる太っ腹に、感動のあまりつい酒が進んだ。

そのうち、このメンツでコラボする話になって、三人展でもやろうか、いいね、ということで、さしあたり近々ポンポン山を一緒に登山することに。

土曜日は買い物の後、大阪ヒルトン・プラザの上にあるニコン・プラザへ。たまたま手に取った写真雑誌で、林なつみの「東京空中浮遊ガール」が紹介されていた。アイディアこそ決して新しくはないが、彼女の透明感とガロ的表情がニッチな面白さを生み出している。

浮遊ガールかあ。浮つき感なら負けないんだが。

Photograph by Natsumi Hayashi

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2012年5月15日火曜日

百万篇さんの手づくり市










 











今日は午前中からh design worksさんに連れられ、京都・百万篇さんの手づくり市に出かけてきた。

あいにくの天気だったが、多数の店を見物し、買い食いし、ブツも色々ゲットできてよかった。オウムの絵が描かれた布製カバンと箸とコースターを買った。 オーガニック系の店で、体の中をきれいにするという「梅醤番茶」も飲んでみた。その名の通り、梅と醤油と番茶をいっしょくたにしたような味がした。

今日は全く仕事をしなかった。今週はそれほど忙しくないからとナメてかかっていたら後でひどいことになるだろう。

そろそろベランダのスミレのプランターを植え替えようと思っていて、家中をプランターから取ってきたスミレで飾り立てている。次は何を植えようかな。ゴーヤ?それとも?

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http://kaki-apple.blogspot.jp/2012/05/2012515.html

2012年5月7日月曜日

連休あれこれ


 



















この連休中は1日仕事したら1日休む、といったペースで、わりと規則正しく過ごした。仕事の能率と心身の健康を考えると、本当はこれくらいのペースがちょうどいいのかもしれない。

休みの日はh design worksさんご夫妻の訪問を受け、ささやかな夕げのおもてなしをした。その他、電車で近場に出かけ、飲み食いをしたり映画を観たり、親を大阪に連れて行ってもてなすつもりが、逆にもてなされ、小遣いまでもらうという日々を送った。iPhoneの壁紙を、ピンク・フロイドの『狂気』にした。

カウリスマキ監督の『ル・アーブルの靴みがき』は立ち見が出るほどの人気だったが、作品自体は人間国宝化した老監督にありがちな微笑ましいノリとぬるい展開で、評価の分かれるところ。レギュラー出演陣が素晴らしすぎるので、こうなったのかもしれない。あくまでも人間の善と善意を見つめるという信念はよく伝わってきたし、自分もそうありたいと思う。それにしても、生ける蝋人形のようなカティ・オウティネンを見るたび、岸田今日子を思い出す。

2012年4月23日月曜日

おかえり!カウリスマキ


















最も好きな映画監督の一人、アキ・カウリスマキの最新作が4月28日からガーデンシネマ梅田で上映されるのを死ぬほど楽しみにしている。カンヌ映画祭で「奇跡」と言われ、最高傑作との前評判高い(毎回そう言われているけど)、『ル・アーブルの靴みがき』。

東京・渋谷のユーロスペースでは「おかえり!カウリスマキ~『ル・アーブルの靴みがき』を見る前に~」と題して、彼の全20作を一挙上映するという。

東京に住んでいた頃は、こういう催しがあれば嬉々として通ったものだが、最近はなんとなく足が向かない。なのに駅前ビルにはどんどん足が向く。この週末も、第1ビルの魚屋で飲んだばかり。アクセサリー作品も多数作った(KAKiブログ参照:http://kaki-apple.blogspot.jp/)。午前中には仕事したしなあ…。

中年はあーだこーだ理由をつけて文化から遠ざかる。

『ル・アーブルの靴みがき』@ガーデンシネマ梅田: 
http://www.kadokawa-gardencinema.jp/umeda/movie/index.php?mo_code=20769&from=next 

2012年4月14日土曜日

お花見と「Cafe Yours」
















昨日は朝のうちに納品を終え、お昼から休みを取ってh design worksさんと近所の公園でお花見をした。彼女の持ってきてくれたシートを敷いて、同じく彼女手製のおいしいお弁当をつつきながら(してもらってばっかり)、今年最初にして最後のお花見を満喫した。

公園は桜の見納めに訪れた近所の人々でいっぱいで、平日の昼間とあって圧倒的に女性と老人が多かった。突然歌い出したグループがあったが、決して酔っ払いではなく、あの美声からして、おそらくどこかの合唱サークルのようだった。

お花見の後は、公園のすぐ近くにできた新しいカフェ「Cafe Yours」でお茶をした。入り口からは想像しにくかったけれど、店内は広々として明るく、シンプル&エレガントなデザインで統一されていて、とても雰囲気がよかった。

4時過ぎにh design worksさんと別れた後は、あちらこちらの店を覗いたり、洋服を買ったりして、ルシ夫が帰ってくるまで楽しく過ごした。

いい一日だった&h design worksさんはつくづくいいオンナだなあ。


Cafe Yoursの店内
















h design works(インテリア・デザイン): 

http://hdesignworks.sub.jp/

Cafe Yours:

大阪府枚方市楠葉並木2-28-15 大東くずはビル別館2F
072-380-9644

2012年4月6日金曜日

Midnight Sing Song






















 

大阪駅前ビル、いわゆる第一~四ビルのあの怪しげな雰囲気が好きで、時々通っている。京都近くに嫁いでからは以前より遠く感じられるようになったが、それでも何かにつけて寄るようにしている。 

一度上の階にオフィスがあるクライアントと仕事をした時は、打ち合わせ中も帰りの飲み食いのことばかり考えていた。今日はどの店にしよう?できれば一番ディープで、かつ当たりのところがいい。

毎日通うわけにはいかず、次またいつ来れるか分からないので、店の選定はいつも真剣勝負だ。失敗するのが嫌で、前回まあまあだったところにまた入ってしまうという弱気な態度はいけない。取るべき道はワイルド・サイド。

次はいつ行けるかな?

"Midnight Sing Song" By Brie Harrison

2012年3月29日木曜日

わたしのマトカ by 片桐はいり




 











春だ!どこかに出かけたい!
 

ついこないだ信州に旅行したばかりだというのに、春の到来に浮かれてどうも落ち着かない。アクセサリーのアイディアが浮かぶと、それも早速作ってみたくなる。

しかしそんな自分を振り切り、100%集中しなければとても訳せないような案件が手元にある。出土した縄文時代の骨に関する資料。考古学的というよりも、どちらかというと解剖学的所見なので一応は引き受けたものの、かなりリサーチが要る。

せめて旅行気分だけでもと、昼休みに他人の旅行記を読んでいるのだけれど、中でも片桐はいりの『わたしのマトカ』と『グアテマラの弟 (幻冬舎文庫)は読みごたえがあった。

彼女が一度見たら忘れられない個性派女優であることは誰もが知っているが、優れたエッセイストでもあることはあまり知られていない。感受性の豊かさ、洞察力の鋭さ、そしてそれを簡潔かつ的確に表現できる文章力にさっぱりとした小気味よい性格があいまって、第一級の痛快エッセイに仕上がっている。

豊かな感受性をもってさっぱりと生きていくことは、彼女を見る限り可能のようだ。

2012年3月21日水曜日

二次元の花瓶:豊田市美術館

















 








久しぶりに休暇を取ってささやかな旅行に出かけた。行先は地方の美術館と料理旅館(こういう宿泊施設のカテゴリーがあることを初めて知った)。帰りに雪の残る白川郷にも寄った。

地方の美術館のすばらしいところ、それは何と言っても人の少なさ。運がよければ、これに上質の展示内容が加わる(入館料が問題になることは少ない)。 

今回訪れた愛知県豊田市美術館は、そのさらに上をいっていた。メイン、サブ、常設、室内および野外オブジェ、レストラン、ミュージアムショップ、すべてにおいてレベルが高く、はっきり言ってその辺の美術館の3倍は楽しめた。 

こんなに楽しかったのは金沢21世紀美術館以来かもしれない。いい美術館で過ごす楽しくも静謐なひとときは、瞑想がうまくいっている時のようだ。

写真はミュージアムショップで買ったオモシログッズ。プラスチック袋の中に水をそそぐと花瓶になる。色違いで2枚入り。

2012年3月12日月曜日

シマ巡り















 



朝8時からみっちり仕事をすると、夕方になる前に頭が使いものにならなくなる。それをいいことに、さっさと机を離れ、買い物袋を手にシマの巡回へ。まだまだ外は明るく、近所の人々が惚けたような表情で歩いている。さて、今日は何を買おうか。 

自分のシマは一応静かな住宅街にあるが、もとは旧京街道に続く由緒ある商店街とあって、何歩も行かないうちにスーパー、花屋、パン屋、肉屋、豆腐屋、布団屋、床屋、薬屋、喫茶店、たこ焼き屋などが軒を連ねている。道路をわたった先にはわりと本格的な園芸屋もあり、いつかリヤカー持参でごっそり買いつけるのが夢だ。 

他に気に入っているのがパン屋と花屋で、スーパーの食料品に加え、まだ温かいパンを丸ごと1本(3斤)と季節の花々で両手をいっぱいにして家に戻ると、いかにも収穫あったという気がして心もいっぱいになる。 

そんなふうにして、こないだ花屋で収穫物を探していたら、ふとデジャブにとらわれた。小さい頃も同じようなことをやっていたな。学校帰りに友達と、駄菓子屋で、本屋で、文房具屋で。

あの頃の自分と今の自分、まったく変わっていない気もするし、完全に別人のような気もする。これまで色んなことがあったが、すべて一瞬にして起こったのではないかと思える時がある。

2012年3月2日金曜日

ナイロン・カーテン




 







 





なんだかんだ言いつつ、翻訳にかかわり続けて20年以上になる。どんな仕事であろうと、長年続ければそれなりの職業病にかかるもの(もちろんそうじゃない人もいる)。 

自分の場合は、「すぐに文字に目がいく」「どうでもいい文をチェックする」「人の文章や言葉遣いまで気になる」「とにかく理屈っぽい」といった厄介な症状があり、うかうかしていられない。最近では用語を厳選してしゃべろうとするあまり、会話の途中で言いよどんだり黙り込んだりすることが増え、挙動不審に見られないよう必死に取り繕う始末だ。 

先日、ビリー・ジョエルの名盤『ナイロン・カーテン』の中の「アレンタウン」を聴きながら、ビリー自身のコメント訳を読んでいたら、「仕事の最中にモンキーレンチを放り投げる者もいた」というところで「ん?」となった。 

戦後の希望の象徴であった工業都市アレンタウンの盛衰について見解を述べているところなのだけれど、「僕らには希望がある。かといって、僕らの両親が戦争の後に抱いていた、例の無限で広大な未来展望を描いているわけでもない」ときて、いきなり「仕事の最中に…」という一文が入り、さらに「そして、突然、僕たちは天然資源を使い果たし…」と続く。 

昔なら確実に読み飛ばしていたが、職業病にかかった今の自分はこういう時、原文をチェックせずにはおれない。 

原文は、「There's been a monkey wrench thrown in the works」。「monkey wrench」は「だめにするもの」、「in the works」は「途中で」という意味があるので、「途中でだめになった」という感じの訳になるはずなのだが・・・。

そこでふと我に返る。自分は一体何をしているのだ?仕事の合間のコーヒーブレイクにちょっとビリーの曲を聴いていたのではなかったか? 

休憩中に余計に頭を使い、仕事に戻った一訳者のかなしき日常。

2012年2月27日月曜日

こねこ(КОТЁНОК)














 


最近観たビデオのうち、ヒットは1996年製作のロシア映画『こねこ(КОТЁНОК)』。猫、子ども、音楽、サーカス…と、自分の好きなテーマをてんこ盛りにした上、驚くほどもっさりした感性と、愚直なまでに優しい目線と、童話のような残酷さをもって作られた作品だ。 

元祖「ダサかわ」というべき、こうしたロシア情緒は、他にも有名な人形アニメ『チェブラーシカ』や、アントン・チェーホフの短編『可愛い女』といった作品の中核になっている。ロシアの農民的モチーフが繰り返し登場するシャガール作品、近年のマトリョーシカ・ブーム、身近なところでは今は無き大阪フェスティバル・ゲート内のロシア書店&雑貨屋「ダーチャ」等、ロシア人気は近代化や洗練化への疲弊から生じた一種の懐古趣味なのかもしれない。

冷戦時代、ロシアはアメリカの敵=日本の敵であった。日米にとどまらず、西側全体から「冷血人間」扱いされていた。真っ向からソビエト批判したスティングの『ロシアンズ』なんかはその極みだったと思うのだけれど、『こねこ』に出てくるような愛すべきロシア小市民たちは、「ロシア人といえども自分の子どもはかわいかろうに」というあの歌を一体どう聴いたのだろう。

2012年2月19日日曜日

いのちの輝き:フルフォード博士が語る自然治癒力




















最近、「プレ更年期」という言葉を耳にするようになった。体温計のTERUMOは、「最近では30代後半~40代半ばの女性でも、更年期障害に似た症状に悩まされているケースが増えてきています。このようなケースが『プレ更年期』なのです」と定義している。

なぜそういうケースが増えてきているのかというと、全般的に(何でもかんでも)訴えが増えていることに加え、現代社会特有のストレスや環境汚染の影響が色濃い。つまり、昔の女性がじっと我慢してやり過ごしていたようなことを、何かと甘やかされてきた現代の30代後半~40代半ばの女性が声高に訴えているが、以前は存在していなかったか、それほどひどくはなかった様々な問題が起きているのも事実なので、それらとの関連で彼女らの訴えにも耳を傾けるべきだというわけ。もっとも、メタボ同様、こうした訴えに最も熱心に耳を傾けるのは製薬会社や医療機器メーカーだろうが。

あちこちで取り上げられているプレ更年期の症状を見ると、自分にも思い当たる点がいくつもある。いずれも、ほんの5年前には感じなかったことだ。閉経期を迎えているか否かの違いだけで、症状的にはプレも普通の更年期もさほど変わりないらしい。 

ここで自分の人生本の一つ、『いのちの輝き:フルフォード博士が語る自然治癒力』(翔泳社)のこのくだりを思い出す: 

「配偶者にたいする配慮でつぎに重要なのは、自分の健康を維持するということである。わたしの患者に、閉経期特有のイライラや不快感がひどくなり、夫にあたりちらして、結婚生活を破たんに追い込んだ婦人がいる。カルシウム剤をしっかりのんでからだのバランスをととのえれば治るものを、それをのむ余裕もなく、イライラを募らせていたのである」(第6章「健やかな生、穏やかな死」:結婚生活より) 

カルシウムは「骨や歯を丈夫にする」以外にも、筋・神経の重要な情報伝達を担っている。上記の文章は一見、「カルシウムが不足するとイライラする」という一般的誤解を煽るようだが、博士が言っているのは「更年期はホルモンのバランスが崩れ、普通なら非常に安定しているはずの体内カルシウム濃度が低下することから、骨粗しょう症や自律神経失調症などからだの不調をきたしやすい。それがイライラのもとになるので、まずはカルシウムを補給してからだのバランスをととのえよう」ということだと思う。 

自分が注目したのは、改善の余地があったものを、無知ゆえにこじらせ、大切なものまで失ったという、この気の毒なケースが示唆するところの教訓(女性たちよ、知恵を働かせ、自衛せよ)だ。 

本書はオステオパシー医学の権威であったフルフォード博士の知恵と愛に満ちあふれている。特に第7章「霊性を高める」には、どれほど大きな影響を受けたか計り知れない。その真価が本当に分かるのはこれからである。

2012年2月13日月曜日

イジス写真展:パリに見た夢
























「イジス写真展 -パリに見た夢」を観に、京都駅前の伊勢丹ミュージアムまで出かけた。

鑑賞前は心身ともにやや不調気味だったのが、鑑賞後は改善されて(というか、そんなものどうでもよくなった)、機嫌良くケーキを食べ、夕暮れの川べりを散歩して帰った。


仕事はそろそろ出口が見えてきた。片足を翻訳の海に浸したまま、気分転換にこまごまとしたものを作って遊んでいる。


野菜の絵本の切り抜きモビール
KAKiガーリーシリーズ:てんとう虫II
KAKiガーリーシリーズ:ピンクオパール

2012年2月9日木曜日

ヘラクレスの12の冒険


















 





義父に借りた少年少女世界の名作シリーズの『ギリシャ神話』を読み終えた。これで「全能の神」は一体何人いるのか(答え:一人。ゼウスとジュピターは同一人物)、アイルランドの作家ジョイスの『ユリシーズ』はなぜホメロスの叙事詩『オデュッセイア』と比べられるのか(答え:ユリシーズとオデュッセウスは同一人物で、ジョイスの小説はこの叙事詩のパロディだから)といった長年の疑問がだいぶ晴れた。 

考えてみると、そういった疑問の大半は、神話に出てくる人物の名前の発音が複数あることに起因している。ヘラクレスをハーキュリーズと言われても、すぐにはぴんとこない。ヘレンのような単純な名前でさえ、ヘレーン、ヘレーナ、ヘレネ、ヘレーネ、エレナ、エレーネ、とバリエーションを挙げたらきりがない。 

ギリシャ神話はラテン語、キリスト教と並んで西洋学の根幹を成しているといっても過言ではないので、後生のためにも日本は専門家を集めて一度この辺をきちんと整理した方がいいのではないか。 

ギリシャ神話に関しては少しすっきりしたが、今やっている仕事が難しく、毎日うんうん言いながら頭を捻っている。何かこう、ぱっと明るくはっきりしたものが欲しく、キンセンカの花を買ってみた。つぼみが12個ついている。