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2013年6月1日土曜日

エロスと幽霊と超高齢化社会




先日は友人でペン画&銅版画家のミズタニカエコ氏の案内で大阪・南森町のギャラリーびー玉を訪れ、オーナーにKAKi作品のサンプルをお見せしたところ、夏に予定している「ファーブル展」や「エロス展」に参加しないかとお声をかけてくださったので、二つ目の方に「kaki noir」のエロ・バージョンを出そうかと思っている。

ギャラリーを出た後は、近くにある女史の行きつけの洋風居酒屋WAVEさんで酒盛りをした。センスのよい料理に舌鼓を打ちながらワインを3本空け、最後の方はシェフやおかみさんも加わって幽霊話。終電さえなければ、自分はどこまでも行けるような気がした(終電があってよかった)。

話は変わるが、本業の翻訳ではここ数年、手がける案件の9割以上は英訳である。中でも自分が専門とする高齢者医療、リハビリテーション、看護学の分野で海外への報告が増えてきているのがうれしい。以前は日本の社会システムや生活スタイルの影響を強く受けるこれらの分野では、独自のアプローチ(例えば医療制度や畳の上での起き上がり方法など)が海外に応用されにくいこともあって、報告はおもに国内向けであり、その結果英訳案件も少なかった。


ところがこの国が超・高齢化社会という未知の領域を突っ走り、北欧や北米といった元祖医療先進国とは事情を異にするパイオニアとなった今、そこから発信されるメッセージへの注目度は高い。

ただ、その注目の意味はというと、ある風変わりな小国の数奇な運命の果てをただ興味深く見守っているだけという気もして、手放しでは喜べないイタさがこの国にはある。

ギャラリーびー玉:http://www2.odn.ne.jp/bi-damas/
洋風居酒屋WAVEのブログ:http://ameblo.jp/wave-izakaya/

2013年2月5日火曜日

Great Drinkers




 

ブログがだんだん週末日記のようになってきたが、この週末は色々と予定が重なり、日程調整に苦労した。それなのに金曜の晩、年末からの無理がたたってか、どうも具合がおかしい。いま寝込んでるヒマはない、と早めに布団に入ったが、こういう時に限ってよく眠れなかったりするもんだ。

明け方少しうとうとした後、予定通り朝6時に起きて支度した。このようにして長い2日間が始まったのだった。

前置きが長くなったが、土曜日の予定の一つに、ロシア語翻訳者であり、有限会社KHNアソシエイツ(http://www.khn-associates.jp/)代表取締役の辻正浩氏が主宰する「これ翻茶論」(これからの翻訳会社+茶論 de 翻訳)という翻訳者の集まりがあり、以前一度参加(http://www.kurotanhk.blogspot.jp/2012/11/persona.html)して以来、とても楽しみにしていた。

15時に西梅田のティールーム集合と聞いて、今回はさらっと茶話会で終わるのかと思いきや、それはただの待ち合わせに過ぎず、その後4回も移動し、実に5次会まで皆で飲みまくり、しゃべりまくった。22時過ぎにお開きになったものの、それも遠方に住む辻氏の終電が迫ったため、しぶしぶという感じであった。

いまどき(いい歳して)こんなに腰を据えて遊ぶ集まりはそう多くない。はっきり言って、私はこういうのが大変好きである。

おかげで心配していた体調も寝不足も何ともなく、翌日曜日もわりあい元気に予定をこなすことができた。夕方には心斎橋のギャラリー「壹燈舎(http://www12.ocn.ne.jp/~ittosha/)」でルシ夫らのクロージング・パーティーに紛れ込んで、各作家による作品解説に耳を傾けたが、ここでも他人の感性や思いにじっくりと向き合う姿勢が素晴らしいと思った。ちなみにこのギャラリーにも多くのgreat drinkerがいる。

2013年1月22日火曜日

天ぷら油の謎



 

この週末はh design worksさんの新居にお呼ばれし、心の篭ったおいしい手料理とお酒と会話を堪能した。落ち着いた、きれいな御宅で、壁にかかっている絵もいかにも彼女らしく、シックで趣味がいい。

このメンバーで飲むのも今回が5回目とあって、こちらがガールズトークで盛り上がっていると、あちらでもボーイズ(オタク)トークが延々と続いていた。

ところで少し前から自分の住むマンションの裏の溝に、こんな↑注意書きが貼られている。マンションの住民、あるいは近隣に住む誰かが、わざわざここまで来て天ぷら油を捨てているということだろうか?大家さんも大家さんで、なぜそれが他の液体ではなく、天ぷら油だと分かったのだろう?

「天ぷら油を台所の流しに流すと環境に悪い。だから外のドブに捨てよう」

まさかそんな理由ではないと思うが、この世には様々な考えがあり、それに従って行動する様々な人がいる。そして多くの場合、自分は正しいことをしていると思っているのだ。

2013年1月3日木曜日

願いごと




あけましておめでとうございます。

本日仕事始め。年末から4日半ほどの休みだと、それほどブランクを感じずに済む。というか、むしろ休みの方があれやこれやと忙しく、ようやく仕事に戻って一息つくことができた。

不思議なもので、年が変わるとともに、昨年を省みる気分もきれいさっぱり拭い去られ、考えることといえば、年始のあいさつや、これからの一年をどうしようとか来週からのスケジュール。そういう頭の自動切り替えを毎年いそいそと、まことしやかにやっている。

始めた理由はもう忘れてしまったが、十数年前から年始に願いごとを黄色い紙に書き出し、机の前に貼っておくようになった。叶うものもあれば、叶わないものももちろんある。一つ気を付けている点は、矛盾した願いごとをしないこと。矛盾している限り、それはまず叶わないことがうすうす分かってきた。

矛盾しないようにするには、自分の本当の望みを知り、それ以外は捨て去るぐらいの覚悟が必要なのだけれど、本当の望みが何なのかを教えてくれるのは、これまで経験してきた様々な「望まないこと」だったりするわけで、そう考えると人生なかなかよくできていると思う。

KAKiブログも更新しました↓ 
http://kaki-apple.blogspot.jp/
 

Linocut by Robert Gillmor

2012年10月9日火曜日

考えごと



 

先日、初めて福島原発事故関連の案件が入ってきた。放射能汚染の心理的影響に関するものだったが、事故から1年半以上が過ぎ、データの蓄積に伴って、今後こうした報告が増えてくると思われる。

しかし、そのような生々しい報告に対する世界の関心はというと、人間自分がイタい思いをするまでは、所詮は対岸の火事。 チェルノブイリ原発事故にしても、同国の報告書に対する国際機関の態度は、科学的慎重さというより、無関心が先立つように見える。

日本も例外ではなく、以前はチェルノブイリなど、社会主義国家のありえない不手際が招いた事故として、冷ややかな目で見ていたのではないだろうか。

その昔、仕事でスロヴァキアの田舎へ行った際、黒く美しい森を指しながら、地元住民が「ここで採れるきのこや木の実は最高だった。でも今じゃ放射能に汚染されているから採取は禁じられている。老人達は採って食べてるけどね」と話してくれたのを思い出す。

その時、この人たちはロシア人のことをどう思っているのか、考えるだけでも暗い気持ちになったが、この図式でいうと、今回の原発事故について日本人は、ただ被災者・被害者として発電所、東電、日本政府ら悪玉に腹を立てているだけでは済まない立場にある。

2012年1月6日金曜日

もぐり込め




















ノラ・ジョーンズのアルバム『Feels Like Home』のナンバーの一つに「Creepin' In」がある。タイトルの意味は「もぐり込め」、歌詞の内容を一言にまとめると、「靴底に穴が開いたら水が入り込んでくるように、チャンスあらばさっと忍び寄ってつかみ取るがいい」という感じだと思う。

そういう機敏な行動を取るには、普段から自分が何を欲しているのかを熟知している必要がある。それもただ欲しているだけではダメで、頭の隅の方でそれが現実化した状態をイメージできるようになって初めて、「チャンスあらば・・・」と言えるのかもしれない。

毎年、年の初めに「自分が欲していること」を30リストアップし、紙に書いて机の前に貼っているのだけれど、今年はまだ書いていない。この週末、じっくりやろう。

それはそうと、今日マイスボニータさんに行く機会があったので、KAKiのアクセサリーを数点追加させてもらった。売れるところは全然イメージできない。










2011年12月14日水曜日

瞑想のための物語




















精神統一に限らず、どうしたらいいのか分からない時にも瞑想をする。

答えを見つけるというよりは(そんなものそう簡単には見つからない)、井戸のようなところに「問い」を投げかけ、安心して帰ってくるだけのこと。パン焼き器にタネを放り込んで、タイマーをセットするような感じと言ってもいい。
 

瞑想というと、急にインド人のようなポーズになって、呼吸に意識を集中したり、ロウソクの火を見つめたり、チャクラだの、オーラだの…とやたら神がかってくるが、日本にはもともと座禅があるので、わりと身近な行為のはず。要は頭から余計なものを取っ払うことができさえすればいいわけだ。

自分も長年、思うように瞑想ができなかった。試行錯誤の末にようやく行き着いたのが「物語」。やり方はこのとおり:

楽な姿勢で目をつぶる。すぐにお馴染みの「階段」が目の前に現れる。自分の場合はなぜか断崖絶壁の頂上に立っていて、足元がぱっくり割れると、そこから下へ下へと続く長い階段になっている。そこをひたすら下りていく。かなりの急傾斜なので、時々滑って落ちたり、ワープしたりする。

そのようにして、「底」にたどり着く。そこには「ドア」がある。それを開けると、向こう側にはこじんまりとした海岸が広がっている。海岸にはベンチがあり、誰かが座っている。近づいてみると、それは「自分」だった。その「自分」に、「問い」をきっちりとメモ用紙に書いて手渡す。そして岸につないである「小舟」に乗って、海を渡るというもの。海の先は、現実の世界に続いている。

この間、何も不思議なことは起こらない。ただせっせと「階段」を下り、「底のドア」を開け、「自分」に「問い」を渡すだけ。精神統一したい場合は「問い」の代わりに、「精神統一したい」と書く。

これを毎回、不思議な信頼感をもってやっている。

2011年11月29日火曜日

アメリカ
























自分の夢のレベルは低い。なので、よほどのことがない限りほぼ毎日叶う。

でも昔から繰り返し頭に浮かぶ一つのイメージがあって、死ぬ前にそれを具体化するというのが一応夢らしい夢かもしれない。

それはなぜかアメリカの大平原だ。そこに腰を下ろして満天の星空を見上げている自分。

先週末、アメリカから遠い親戚が来日したので、おもてなしする機会を得た。別れ際の"Why don't you come and visit us to America?"という言葉に、一人こっそりと拳を固めていたのは言うまでもない。

アナタノユメハナンデスカ?

2011年11月22日火曜日

中年考

























「中年化」とは、「頑固になること」だと思っている。

脳細胞の死滅や身体機能の低下はとうの昔に始まったことなので、今さら急に騒ぎ立てるものでもない。問題は、本人の意志による中年化である。

頭の中をコンピューター・システムに例えてみる。今から数年前、一まわり以上年下の青年たちと机を並べ、全身の血管やら筋やら神経なんかに関する情報を必死で頭に詰め込む日々を送っていた。

この時、彼らと私とでは頭の中の動きが違っていたはずだ。彼らの脳内では、驚異的なスピードで新しいデータががんがん取り込まれている。容量はほぼ無制限、集中力が続く限り作業は可能である。取り込んだデータを即座にフォルダに振り分ける几帳面な子も入れば、めったやたらに詰め込んで、後で取り出すのに苦労する子もいる。

一方、こちらの頭の中にはこれまでに作成したフォルダが数多く存在する。新たな情報の認識は、これらの既存フォルダとの関連付けで済むので、データの取り込みは積極的に行われない。

どちらの方法にも一長一短があるが、中年のやり方は労が少ない分、すぐに効果が失われる。忘れっぽいのもそのせいかもしれない。

とはいえ、過去の(特に手痛い)経験を通じて何度も関連付けされたリンクは、おそろしく強固なものになっている。一旦そうなれば、今度はむしろ解除したり修正したりする方が難しくなる。本人も苦労して作り上げたという気があるから、そう簡単には手放さない。

そういう太いリンクはよく目立つし便利なので、その後もしょっちゅう使われる→思考や行動のパターン化へ。

よくあることだ。さて中年。

Inside My Head by Jim Carrington Published by Bloomsbury

2011年11月1日火曜日

忙しくない。

 

忙しい、忙しい、忙しい・・・。

と、言いたくない。

自分でわざわざ「忙しくなるように」予定を組んでおいて、
文句を言うなんて滑稽じゃないか。

「忙しいんじゃないの?」
「いや、いつもヒマ」

という会話が理想。
そして人と会った時は、その人だけに時間を捧げられたらと思う。