2012年11月20日火曜日

So happy birthday



 

昨夜は最近お世話になっているコーディネーターのUさんと北浜で打ち合わせ。KAKi作品を見て声をかけてくださって以来、色々な企画をご提案いただいている、貴重な人である。

その前日は軽く仕事をしてからアンティークショップMuse Antiques」さんで作品入れ替えをし、ルシ夫がグループ展に参加した心斎橋のフォトギャラリー壹燈舎」での打ち上げに紛れ込み、その後近くの料理屋で二人の誕生月を祝った。 

その前々日は京都・西陣のおばんざいや空まめ」さんでh design worksさんとランチし、作品を入れ替え、空まめさんに作品をお買い上げいただいたばかりか差し入れまで頂戴した後、叡電で一乗寺へ。駅近くの「むしやしない」というかわいらしいケーキ屋さんを教えてもらい、この店の名物で15,000円も近くするケーキ鍋、「むしやしなべ」に目が釘付けになった

写真↑はそのh design worksさんからいただいた誕生日祝いの指輪。お友達でガラス作家のInoya Makikoさんにオーダーしてつくってもらったとのことお二人のセンスに感服しつ、それから毎日つけている

h design works/interior design
http://hdesignworks.sub.jp/ 

Inoya Makiko
http://inoyamakiko.com/ 

むしやしない:  
http://www.648471.com/

2012年11月13日火曜日

翻訳者オフ会と鬼海弘雄写真展『PERSONA』



 

先々週、大阪・新世界にて翻訳者オフ会なるものに参加した。

集まった6人はそれぞれ英語、ロシア語、中国語、フランス語が専門で、分野もバックグラウンドもばらばら。翻訳会社経営者や兼ミュージシャンの方もおられ、多様な顔ぶれだった。
 

このメンツで串カツ片手にしゃべるわ、飲むわ。しかも仕事の話はつーかーで、胸のすく思いがした。
 

よく考えたら、セミナーやワークショップ以外で同業者と交流するのは、長い翻訳者生活においてこれが初めてかもしれない。昔はこういう集まりが苦手だったが、そう悪くないものだと認識を新たにした

先週は、兵庫県・伊丹市立美術館にて鬼海弘雄写真展『PERSONA』を観た。実家がすぐ近くなので、この辺りはちょくちょく訪れる。


鬼海作品はかなりのパンチがあった。特に浅草やその周辺に棲息する人間を撮ったペルソナ・シリーズ。怪しげな商売人やホームレスらしき人々、女装趣味者も大勢含まれている。こうしたワイルド・サイドを実にかっこよく、ひとりひとりがドラマの主人公でもあるかのように撮る

実際、私たち誰もがそれぞれの人生ドラマの主人公なのだ。だから胸を張って、精一杯毎日を生きる―――被写体の強い眼光は、そういう鬼海氏の信念の表れかもしれない 

KAKiブログも久々に更新しました↓ 
http://kaki-apple.blogspot.jp/ 

伊丹市立美術館: 
http://artmuseum-itami.jp/

2012年11月1日木曜日

『ル・コルビジェの家』と超・切り絵



久しぶりに大阪・梅田ガーデンシネマに出かけ、アルゼンチン映画『ル・コルビジェの家』(原題:El Hombre de al Lado -隣の男-)を観た。ル・コルビジェといっても、別に歴史的建築学的作品でもなんでもなく、「被害は避けられない(Las Victimas No Se Eligen)」とサブタイトルにもあるように、ややこしい人間ドラマだ。
 

次から次へと起こる隣人との厄介なトラブル。主人公は神経衰弱ぎりぎりまで追いつめられる。しかし観る側は深刻になるどころか、だんだん笑いがこみあげてきて、これはしてやられた、という気持ちになる。絶妙なセンスの持ち主らが集まって、「こういうシチュエーションって最悪だけど、あるよね?」とげらげら笑いながら撮ったような作品。最後のエンドロールまで見事だった。

その他、別の日に兵庫県立美術館で観た『バーン=ジョーンズ展』(イケメン揃い)や、h design worksさんに連れられて京都・高台寺で鑑賞した切り絵画家の蒼山日菜の個展もよかった






0.3mmの線で描いた細密画を忠実に切り抜く彼女のレース切り絵は、もはやアクロバットというしかない(実際、シルク・ド・ソレイユのポスター等にも採用されたらしい)。


切り絵を鑑賞した後は、h design worksさんとライトアップされた京都の秋の夜の風情を堪能した。

2012年10月15日月曜日

マイ・ライト・ハンド




先日、編集者兼ライターの二村志保氏と天満橋でランチをいただきながら、仕事と健康という二大テーマについて語り合った(恋愛と美についてはほとんど話題にならなかった)。

健康面において今一番自分を悩ませているもの、それは右手首の痛みである。「手根管症候群」とも呼ばれるこの症状、原因ははっきりし過ぎるほどはっきりしている:

いい加減、手を酷使するのをやめなさい!(他が原因でなる場合も多いのでご注意。)

二村氏も笑っていたが、朝から晩までPCのキーを叩き、それが終わったら猛烈な勢いで野菜を刻み、余暇はアクセサリーをせっせと作っている。先週末は実家においてあるピアノを数時間も弾いた。筋トレと称してウェイトを持ち上げるわ、腕立て伏せはするわ、自分が手なら、とっくの昔に反乱を起こしているだろう。

特にアクセサリーは、最近ブログを更新していないからといって、もう早飽きたんだろうなどと思わないでいただきたい。この間ひたすら新シリーズの商品開発に取り組んでいたのだ(KAKiブログ参照:http://kaki-apple.blogspot.jp/)。

手が動かなくなったら、生活のすべてにおいて待ったなしに困る。とりあえず、今晩から手を使うのを控えよう。用事のある方はできるだけメールではなく、電話をください。

2012年10月9日火曜日

考えごと



 

先日、初めて福島原発事故関連の案件が入ってきた。放射能汚染の心理的影響に関するものだったが、事故から1年半以上が過ぎ、データの蓄積に伴って、今後こうした報告が増えてくると思われる。

しかし、そのような生々しい報告に対する世界の関心はというと、人間自分がイタい思いをするまでは、所詮は対岸の火事。 チェルノブイリ原発事故にしても、同国の報告書に対する国際機関の態度は、科学的慎重さというより、無関心が先立つように見える。

日本も例外ではなく、以前はチェルノブイリなど、社会主義国家のありえない不手際が招いた事故として、冷ややかな目で見ていたのではないだろうか。

その昔、仕事でスロヴァキアの田舎へ行った際、黒く美しい森を指しながら、地元住民が「ここで採れるきのこや木の実は最高だった。でも今じゃ放射能に汚染されているから採取は禁じられている。老人達は採って食べてるけどね」と話してくれたのを思い出す。

その時、この人たちはロシア人のことをどう思っているのか、考えるだけでも暗い気持ちになったが、この図式でいうと、今回の原発事故について日本人は、ただ被災者・被害者として発電所、東電、日本政府ら悪玉に腹を立てているだけでは済まない立場にある。

2012年10月1日月曜日

浅山美由紀展:BORDER 〜永遠に変わらないものはない〜





この土曜日は京都・西陣の空まめさんでKAKi作品の入れ替えをし、心のこもったおばんざいとおもてなしで心身ともに養われた。


その後、ワクワクしながら大阪に出向き、関西ではわりと名の知れたアーティスト・浅山美由紀氏の久々の個展『BORDER ~永遠に変わらないものはない~』を観た。これまでインスタレーションやオブジェが中心だった氏の、初のオール平面作品展となる。

BORDER、すなわち「境界」。この言葉をどう解釈するかは観る側の自由だが、もともと細胞などの有機的モチーフの目立つ浅山作品にあって、今回もまず浮かんだのが「細胞壁」としての境界線だった。内外の圧の違いに乗じて必要な物質を取り込み、増殖・拡大し、不要なものは排出する。

この境界線が、東北大震災によって、そして自身の最近の治療体験によって、揺らぎ始めたと浅山氏は語る。



     浅山氏のアーティストトークの様子
 


たしかに、細胞のような細かいドットは、線の内外にうごめきながら分布している。細胞壁同様、境界線には目に見えない小さな穴が無数に開いていて、有機的交換(交流)がなされているようだ。いや、あるいは最初から、内外などという境界はあいまいでしかなかったのか。

もうひとつ感じたキーワードがある。それは「自己治癒(セルフ・セラピー)」。脳血管障害や精神疾患のためのリハビリテーション・アプローチとして、点描や貼り絵などの繰り返し作業が用いられることが多いが、今回作品群に描かれた無数のドットに、大病を患った氏の自己治癒プロセスを垣間見た思いがした。このような形で提示されたプロセスは、特に自己治癒を必要とする者にとって、感覚レベルで理解できる一つの道標となる(たとえば草間彌生が先駆けて実践しているように)。

ドットが描き入れられなかった余白部分は、波にもまれ、潮に浄化されて、白く強くなった貝がらを思わせた。
 

大阪・天満橋のあーとスペース夢玄にて、10月7日(日)まで開催中↓


 

浅山美由紀ブログ:  
http://www.eonet.ne.jp/~blcart/diary/diary.htm

2012年9月26日水曜日

免疫の秋




昨日は久々に阪大他主催のアートエリアB1で、「サイエンスカフェ・オンザエッジ10 ~ノーベル賞でたどる免疫学の歴史~」を聴講した。


免疫学は以前から特に興味のある分野の一つで、昔たまたま目にした免疫関連の専門用語が、「大食細胞」だの「キラー細胞」だのと何となく面白そうだったので医学翻訳をやり始めたといっても過言ではない。

そのようにして踏み出した一歩を決定づけたのが、優れた免疫学者にして文筆家だった故・多田富雄の『免疫の意味論』(青土社)。こんなに読ませる医学書は他にないというぐらい、文章がうまく、分かりやすい。読者はまるで千夜一夜物語でも読んでいるかのように、めくるめく免疫の世界に引き込まれ、魅了される。人間の身体は神の神殿とはよく言ったものだが、免疫はまさしくその御業。「免疫=神」なのである。

ところでこのアートエリアB1、色々面白い試みをやっていて、自分もこれまで編み物カフェ、参加者による自主映画の制作、問題作『精神』の上映&討論会、哲学カフェなど、10回近く参加してきた。

この秋も色んなイベントが開催される予定だが、他にも多々行きたいところがあり、なかなか参加できそうもない。1年前に見学に行ったきり、ずっと棚上げにしていた美術教室にも来週から通い始めることだし、秋大好き人間はこの時期、異様に活発化するのだ。