2011年11月30日水曜日

パッセンジャーズ・ハイ



















フィンランドへの出張が続いたある時期――。その時もヘルシンキ行きの機中だった。

ちびちびワインを飲みながら音楽を聴いていると、今まで味わったことのないような強い恍惚感とともに、自分の身体が宙に舞い上がるように感じて、思わず座席にしがみついた。

「ランナーズ・ハイ」ならぬ、「パッセンジャーズ・ハイ」。

機内環境とアルコールの影響もあるだろうが、その後何十回と飛行機に乗り、同じように(あるいはもっと多量の)アルコールを摂取したのに、このような体験は一度きり。

音楽の、いや、この曲のせいだと思う。ヴァイオリニストにとって難曲といわれるシベリウスの『ヴァイオリン協奏曲』。ちなみに自分が「飛んだ」のは、第二楽章の最後の山場だ。

その後たまたま手に入れたのはフェラス&カラヤン&ベルリン・フィルによるもので、やや派手すぎるきらいがあるけれど、名盤といわれるだけあって、とにかく演奏に艶がある。

シベリウスを生んだフィンランドの静謐でぼくとつとした空気を感じたいなら、やはりフィンランド人演奏家&フィンランド放送交響楽団によるこのアルバム(↑)がおすすめかも。

2011年11月29日火曜日

アメリカ
























自分の夢のレベルは低い。なので、よほどのことがない限りほぼ毎日叶う。

でも昔から繰り返し頭に浮かぶ一つのイメージがあって、死ぬ前にそれを具体化するというのが一応夢らしい夢かもしれない。

それはなぜかアメリカの大平原だ。そこに腰を下ろして満天の星空を見上げている自分。

先週末、アメリカから遠い親戚が来日したので、おもてなしする機会を得た。別れ際の"Why don't you come and visit us to America?"という言葉に、一人こっそりと拳を固めていたのは言うまでもない

アナタノユメハナンデスカ?

2011年11月28日月曜日

ネギ畑とお姫様




















うちのベランダには葱専用のプランターがある。「ネギ畑」と呼んでいる。

市販の葱を買ってきた際に根っこの部分を多めに切り落とし、水を吸わせた後にプランターの土に挿しておく。2週間ぐらいで20cmほど伸びるのを「収穫」。

 








大胆な挿し方の例



もちろん大した量は獲れない。収穫した僅かな葱を自分の味噌汁などに入れて喜んでいる。

室内には別のプランターがある。この春に買い求めたのだけれど、暑さに極端に弱く、西日の当たる部屋に置いておけない。とはいえ、日陰に置きっぱなしにすると生気がなくなる。その加減が難しく、夏の間一日中家のあちこちに移動させて大変だった:
 

「姫っ、大丈夫でござるか?!」
姫は早くも昼過ぎから暑気にやられてぐったりしている。すぐに霧吹きで水を吹きかけ、涼しい北側の仕事部屋に連れて行く。しばらく机に向かった後に振り返ると、先のうなだれようが嘘のようにしゃんとしている。


お姫様はデリケートであると同時に非常に分かりやすかったりもする。

2011年11月26日土曜日

インド料理屋のチーズ・ナン




















インド料理屋がわりと好きで、1、2か月に一度は入る。いわゆるカレー屋ではなくて、ショーウィンドーみたいなキッチンでインド人やネパール人コックがナンをこねていたり、壺の中をつついていたりするようなところがいい。

先日、以前から車で通りかかるたびに気になっていた「薬膳カレー専門店」というのに入ったら、普通のインド料理屋だった。

店内は近所の人々で賑わっていた。よほど美味しいのだろうと思ったら、期待以上の味とサービスで、ここ5、6年の間に試したインド料理屋の中でも一番の当たりではないかと思う。

小さめのコースを頼んだつもりが、一皿一皿がやたらと大きい。カレーの旨味が違う。チーズがたっぷりと入った大きなナンまでついている。それなのに、なぜかこんな日に限ってすぐにお腹がいっぱいになり、あまり食べられない。もっと小さなコースにすればよかったと悔やんだが、時すでに遅し。

何とかカレーをたいらげ、あとは店に無理を言って持ち帰ることにした。こないだ、その時のチーズ・ナンを蒸し直して朝食に食べたけれど、もっちりとして美味しかった。

ご馳走を目の前にしながら胸がいっぱいで食べられないということが、小さい頃からよくある。そういう時の悔しさは如何ともしがたい。胃の大きさよりも食い意地の方が勝っているということだろうか。

2011年11月25日金曜日

冬も喜び
















冬という季節が深まるにつれ、期待が高まっていく。

期待といっても別にクリスマスや正月を待ちわびているわけではなく、得体の知れない高揚感が奥の方からふつふつと湧き上がってくるのだ。

年々温暖化とプラスチック化が進む現代において、自分のこの気持ちをすくい取ってくれるものは見当たらない。

それは、ヴィヴァルディ作『四季』の協奏曲の一つ、「冬」につけられたソネットの中にある:


冷たい雪の中で寒さに震える
厳しい風が吹き付ける
絶えず足踏みしながら走る
寒さのあまり歯の根もあわない

暖炉の側で静かに平和な時を過ごす
雨に濡れる外
氷の上を歩く、ゆっくりと注意して
転ぶといけない

急いで足を滑らせ転んでしまう
また氷の上を歩く
急いで走れば氷は砕けて飛び散った

東南の風、北風、全ての風が争いながら
閉じた扉から入り込むようだ
これぞ冬
されど冬も喜び


この協奏曲の中では第1楽章が最も好きだ。

厳しい冬には独特の華やぎがある。
そういう意味では黒という色に似ている。

2011年11月24日木曜日

ヒアアフター








 









夕食後にクリント・イーストウッド監督の『ヒアアフター』をiTunesでダウンロードして観た。

去る3月に前売り券まで買って楽しみにしていたら、封切直前に東北大震災が起こり、冒頭の津波のシーンが問題となって日本での上映が取り止めになったという、いわくつきの作品だ。

「ヒアアフター」とは、映画の中では「来世」と訳されているけれど、直訳すれば「これ以降」「ここから先」という意味。契約書なんかで名称を短縮する時、「Hereafter, XXX(以下、○○とする)」というふうに用いることが多い。

問題の津波のシーンも、しっかり見届けた。が、そのリアルさゆえに自分のような非被災者でさえ、気持ちが動揺せずにはいられなかった。身近な人々を襲った大きな災難。どうしても重なってみえる。

映画の出来自体については、やや焦点がぼやけているものの、「死後の世界」という色々な意味で難しいテーマを静かなトーンで、SFやオカルトとしてではなく日常的なものとして描き切ったところが評価できる。

「死後の世界があるかどうか、真実は誰にも分からない。ただ、人は誰しも与えられた人生を精一杯生きるべきだ、と私は常に信じている」とはイーストウッドの弁。超メジャーなハリウッド監督が映画界で長年タブーとされてきた「スピリチュアルもの」に正面から挑むことで、『奇跡の輝き』などの不発感拭えぬこの分野に新たな風穴を開けようとする試みか。

今後同類の映画が増えると予想される。

2011年11月23日水曜日

きのうの夜は


















 


きのうの夜は、地元でそれぞれ美容系サロンを経営している女性二人のお誘いで、家の近くの寿司屋で飲んだ。先日の誕生日祝いにと、アフタヌーン・ティーのブランケットまでいただいた。

お寿司屋には予約時に低予算を伝え、その中で料理と飲み物が収まるようにしたいと無茶なお願いをしたところ、女子会歓迎の意を込めて盛大にサービスしてくれた。こちらはどちらかというと飲み専なので、料理がかなり余ってしまい、申し訳なかった。

器の大きい彼女らとの会話は刺激的で楽しかった。次回と次々回の飲み会を約束し、夜中12時頃に別れた。 

2011年11月22日火曜日

中年考

























「中年化」とは、「頑固になること」だと思っている。

脳細胞の死滅や身体機能の低下はとうの昔に始まったことなので、今さら急に騒ぎ立てるものでもない。問題は、本人の意志による中年化である。

頭の中をコンピューター・システムに例えてみる。今から数年前、一まわり以上年下の青年たちと机を並べ、全身の血管やら筋やら神経なんかに関する情報を必死で頭に詰め込む日々を送っていた。

この時、彼らと私とでは頭の中の動きが違っていたはずだ。彼らの脳内では、驚異的なスピードで新しいデータががんがん取り込まれている。容量はほぼ無制限、集中力が続く限り作業は可能である。取り込んだデータを即座にフォルダに振り分ける几帳面な子も入れば、めったやたらに詰め込んで、後で取り出すのに苦労する子もいる。

一方、こちらの頭の中にはこれまでに作成したフォルダが数多く存在する。新たな情報の認識は、これらの既存フォルダとの関連付けで済むので、データの取り込みは積極的に行われない。

どちらの方法にも一長一短があるが、中年のやり方は労が少ない分、すぐに効果が失われる。忘れっぽいのもそのせいかもしれない。

とはいえ、過去の(特に手痛い)経験を通じて何度も関連付けされたリンクは、おそろしく強固なものになっている。一旦そうなれば、今度はむしろ解除したり修正したりする方が難しくなる。本人も苦労して作り上げたという気があるから、そう簡単には手放さない。

そういう太いリンクはよく目立つし便利なので、その後もしょっちゅう使われる→思考や行動のパターン化へ。

よくあることだ。さて中年。

Inside My Head by Jim Carrington Published by Bloomsbury

2011年11月21日月曜日

洋服の友



















服を買いに行きたいとずっと思っていた。

昨日ようやく午後から時間ができたので、膨れ上がった物欲を抱いて駅前のショッピングモールに走る。

店内の服を存分に調べ上げ、化粧品売り場のお姉さんと雑談し、青汁コーナーで青汁(好物)飲んだり本屋をのぞいたりしているうちに、あっという間に夕飯の支度の時間が迫ってきた。

しまった。まだ何も買っていない。

何でもいいからとにかくと、その辺の適当な服を引っつかんでレジへ。 

・・・こんなのではいけない。お洋服をないがしろにしてはいけない。

教訓その一:気分転換は洋服選びの後。その二:今年はフレンチ・ボーダーとダッフルは避けるべし。

2011年11月20日日曜日

Apple映画















少し前から映画を観るたびに不思議に思っていたのだけれど、どうして皆、スクリーンの中でAppleのMacBookを使っているのか。

ユーザーの役がデザイン系やIT系ならまだ分かるのだけれど、教授も科学者も会社員も学生も家庭の主婦も、押しなべてMacBookという設定には違和感がある。

ノートブック型PCなら他に色んなメーカーの色んな種類があるだろうに、これはやはりスティーブ・ジョブズの映画界にまでおよぶ影響力か、それとも単に絵づらがよいという安易な理由か・・・。

でも、そのわりには映画の中で使われる携帯電話が全部iPhoneにならないのはなぜだろう。

そういや、スティーブ・ジョブズの追悼式でコールドプレイとノラ・ジョーンズが演奏したそうだが、そこまでいくと思わず、「それってずるい」と反応してしまう。

だって、今の時代のいいもの全部、その辺に集まっているんだもの。

2011年11月19日土曜日

Take Love Easy













 


ジャズのスタンダード曲『Take Love Easy』を
エラ・フィッツジェラルドがジョー・パスの渋いギターで歌っている。

この歌が年を追うごとに強く心に沁みる:
 

Take love easy, easy easy
Never let your feelings show
Make it breezy, breezy breezy
Easy come and easy go
 

恋をするなら軽やかに  
決して気持ちを見せたりせず
そよ風のようにふわふわと
来る時も行く時も

Never smile too brightly brightly
When your heart is riding high
Let your heart break, oh so slightly
When your baby says goodbye


舞い上がる心とは裏腹に
笑顔は少し控えめで
恋人に別れを告げられた時

心に深手を負わぬよう

That well known flame is mighty hot
As all of us have learned
So handle it with velvet gloves
And you won't get your fingers burned


私たちは皆知っている 
炎は途方もなく熱いということを
だから手にやけどをしないよう
ビロードの手袋をはめなくては

Take love easy, easy
On the free and easy plan
And if you can't take it easy
Take it easy as you can


恋をするならゆったりと
成り行きまかせ、運まかせ
たとえそれが難しくても

精一杯軽やかに

2011年11月18日金曜日

第四の波



ここのところしばらく論文訳が続いていたが、昨日「身近なエコ」をテーマにしたレアな案件が入ってきて興味をそそられている。

エコロジーといえば、一時、「ワールドウォッチ研究所」創設者のレスター・ブラウンの著書を読んだり、来日時に講演を聴きに行ったりしていた。当時、彼が提唱していた「エコ・エコロジー」(検索しようと「エコエコ」と入力すると「エコエコアザラク」と予測変換される)の基本的アイディアには色々と影響を受けた。

同時期に影響を受けたのが、トフラー夫妻のあまりにも有名な著書『第三の波』。「第一の波」は農耕社会、「第二の波」は産業社会、そして「第三の波」として情報化社会が訪れた後、世界はどうなるか、我々はどこへ行こうとしているのか、というのを1980年に予言的に分析したもの。

もうすでに「第四の波」が来ているという仮説を展開したダニエル・ピンクという人の『ハイ・コンセプト』を読んでみたいのだけれど、訳者が大前研一で、しかも「新しいことを考え出す人の時代――富を約束する6つの感性の磨き方」というサブタイトルまでついていて、何か違う、と二の足を踏んでいる。


レスター・ブラウン: 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BBR%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3 
アルビン・トフラー: 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BC

2011年11月17日木曜日

灰色の中のピンク




















こじゃれた店で飲むと風邪をひく。おっさん系の店の方が断然落ち着く。

なので昨日も最近気に入って通っている居酒屋で誕生日を祝ってもらった。  

その前にサロン・ド・麗明に寄り、タロットに関する資料の翻訳を受注した。ルナさんは誕生日を覚えていてくれただけではなく、マカロンで有名なラデュレの素敵なポーチ(↑)までプレゼントしてくれた。なぜか越乃寒梅の一升瓶付きで。  

途中、グラフィック・デザイナーのdesign couci-couçaさんも加わり、しばしガールズ・トークで盛り上がった後、家族と落ち合って居酒屋へ。  

エレガントなサロンの後の居酒屋は、いつにもまして灰色にくすんで見えた。周囲は皆、同じような背広のサラリーマン。向こうの方にOLっぽい女性が1人いるだけ。  

家族に見せようと、先ほどいただいたポーチを取り出してみたが、あまりの場違いさに一瞬、自分の中でちょっとしたせめぎ合いが起きるのを感じた。 

おっさんと女子。人格的にこの二つのキャラクターのバランスが重要だ。しかし最近、どうもおっさんの旗色が悪い。歳を取ってくたびれてきた可能性がある。

2011年11月16日水曜日

言いまつがい



















自分がよく言い間違えるせいか、ほぼ日刊イトイ新聞の「言いまつがい」コーナー(http://www.1101.com/iimatugai/index.html)が好きだ。

文庫本まで取り寄せて読んでいるのだけれど、最初のページの「この本を電車の中で絶対に読まないでください」という警告を無視して、一度電車に持ち込んだら死ぬかと思った。

最初の2、3例までは「ふーん」という感じなのだけれど、読んでいくうちに笑いが我慢できなくなり、それから後はひとりで延々笑い続けることになる。笑いにも閾値があるのかもしれない。
 

ところでホームページ「黒猫と単語」に英語ページを追加した(http://www.kurotan.biz/eng/index.html)。  

人の文章と違って、自分のはやたらと訳しにくい。 身内にパソコンやケータイの操作を教えるようなものかな。  

ほぼ日刊イトイ新聞 
http://www.1101.com/home.html

2011年11月15日火曜日

翻訳の海





















翻訳している時とそれ以外の時とで、わりと解離がある方だと思う。

翻訳モードに入らなければ、簡単な文章でもさっと訳せない時がある。タイムズ誌なんかを持ってこられてもちんぷんかんぷんで、そうなると相手の顔にも、「こいつ、ほんとに翻訳家か?」という疑惑の表情がありありと浮かぶ。

 

翻訳モードは、海の中に潜っている状態に似ている(潜ったことないけど)。一度潜れば、地上のことは一切考えられなくなる。悩み事を忘れ、忘れてはいけないことも忘れる。その間に話しかけられても気づかないことが多い。
 

自分では、海女さんになったような気でいる。海の中は自由だ。インターネットが普及してからは、瞬時に世界中の海に出られるようになった。

一日中海の底で作業をし、くたくたになって陸に引き上げた後の語学力はひどい。そういう時、何か小難しいことを訊かれたら(飲み会なんかでたまにある)、どもる、言いよどむ、言い間違える、固有名詞が出てこない、笑ってごまかす――職業を記した名刺を渡すのもはばかられる。

 

最近、「解離」は「老化」に名を変えつつある。

2011年11月14日月曜日

ビリーと犬




















最近、朝の筋トレ中にぼーっとしたり音楽に聴き入ってしまったりして運動がおろそかになりがちだったので、iPhoneのエクササイズ・アプリを使うようになった。

設定すると「ワン、ツー、ワン、ツー」という男性のかけ声を入れることができ、これに合わせて体を動かせば気が散漫にならずに済む。

「ワン、ツー」の発音がいかにもアメリカ人ぽく、何となく「ビリーズ・ブートキャンプ」をやっているような雰囲気なのだけれど、あまりに発声に気合が入っているため、最初の「ワン」が犬が吠えているように聞こえる。

犬:「わんっ」

ビリー:「トゥー」

犬:「わんっ」

ビリー:「トゥー」

右側にビリー、左に犬。

そのようにして、今朝も彼らのシゴキを受けた。

2011年11月13日日曜日

浅山ワールドとヨーロッパ映画祭

昨日のえにし庵の舞台美術を手がけたのは庭師のだいすけさん。 
浅山美由紀さんの「細胞」という名のインスタレーションが使われていた。

 細胞
 

インスタレーションの他にも、これまでにオブジェ、プロジェクト、平面、ガラス工芸といった多様な作品を発表してきている浅山氏。

 記憶

 浮遊  

浅山ワールドの魅力は、彼女にしかつくり出せない有機性と、内面の苦悩をくぐり抜けた後の透明感にあると思う。  

ところで、ヨーロッパ映画祭が近づいてきた。
今年のスケジュール↓は結構充実しているかも。
前売りは17日まで、となれば来週半ばまでに観るもの決めてチケット購入しないとな・・・

こういうことを日々あれこれと頭の中に詰め込むから、肝心の用事を忘れるわけか。  

浅山美由紀ホームページ: 
http://www.eonet.ne.jp/~blcart/toppage.htm 
2011ヨーロッパ映画祭スケジュール:
http://www.oeff.jp/Documents/pdf/18th-oeff-screening-schedule-_-ticket-information.pdf

2011年11月12日土曜日

害することなかれ




















今日は久しぶりに暖かい。一年中こんな感じだと人間ボケるだろうか。

今朝は少し早起きして論文抄録の英訳を2件仕上げた。午後からはアーティストの浅山美由紀さんからのお誘いで、h design worksさん、不良中年夫とともに、四条畷のえにし庵で行われる「感月祭 2011 藤條虫丸と表現者達の宴」というのに出かける。

論文と言えば、先日腹部の脂肪吸引手術による死亡症例報告を続けて3件訳したのだけれど、その内容のすさまじさと、日頃あちこちで見かける美容整形としての脂肪吸引の軽薄な宣伝とのギャップに愕然とした。

さわやかな朝には相応しくない内容なので、あえてこれ以上は触れないが、脂肪吸引なんて間違ってもやるもんじゃない。医者は儲けるために施術するのだろうが、そういう人間に我が身を託す恐ろしさよ。

犬や猫だってお腹を見せる相手を選ぶというのに。

2011年11月11日金曜日

理想とリアリティの狭間

 

『しろばんば』シリーズを通じて、様々な女性が登場するが、これらの中で唯一リアルなのがおぬい婆さんであると思う。

他の女性は、井上靖の頭の中にある色んな女性のパーツを強調した、顔のない登場人物に過ぎない。洪作の母にしても、従妹の蘭子にしても、寺の娘の郁子にしても、文豪の優れた手で生き生きと描かれているものの、そのキャラクターに対する作家の見解が先に提示されているせいか、「ぜいたくに甘やかされて育った、わがままで奔放で気まぐれな都会っ子の蘭子」という一言で済んでしまう。
 
男性作家が作品の中で女性を描こうとする時、ともすれば自分の女性に対する理想を投影してしまいがちである。そうすると、どの作品を読んでも同じような女性キャラクターが登場することになる。その最たる例が村上春樹ではないだろうか。ノーベル賞獲るかもしれないけど。
  
シリーズ最後の『北の海』で、両親の住む台北へと旅立つ前に、洪作はおぬい婆さんと暮らした土蔵を訪れる。そこで死んだ婆さんに、受験した学校全部落ちたことを報告するヘタレ洪作。するとばあちゃの声が聞こえてくる、「いいさ、いいさ、坊を入れてくれんようなところへは、はいってやらんこっちゃ」。

婆さんにもっと生きていて欲しかった、と心の内を吐露すると、「いつまでも坊の傍に居たかった」と返してくれる。『しろばんば』では、あれほど憎まれキャラだったおぬい婆さん。全身全霊をかけて、ただ一人洪作を守り、愛し抜き、死んでからも彼の唯一の心の故郷である。

実は、この婆さんが井上靖の理想の女性なのではないか。そして、理想であると同時に、ここまでリアリティのあるキャラクターに創り上げた・・・これが、このシリーズが名作たる所以では、というのが今年の所感。

2011年11月10日木曜日

おぬい婆さんの亡霊





















あくまでも個人レベルの話だけれど、今年は本が不作だった。過去に読んだ本を読み返すだけで、新書購入はリサーチのみというかなり後ろ向きな読書生活だった。

重点的に読み返したのは、井上靖の『しろばんば』シリーズ。自分にとって、井上靖といえばこのシリーズだ。というか、他の作品はどれもぴんと来ない。

しろばんば→夏草冬涛(上)→夏草冬涛(下)→北の海(上)→北の海(下)

と、読破すればかなりのページ数。

もっとも、主人公・洪作がおぬい婆さんと暮らした幼少時代の『しろばんば』は話の展開が遅すぎるので、前半ほとんど飛ばし、婆さんが死んでから読んだ(ばあちゃ、ごめん)。

たぶんこれまでに10回以上は読み返しているが、今回読んで気付いたことは、自分のおぬい婆さんに対する見解の変化だ。

どのように変化したかはまた明日。

2011年11月9日水曜日

絵画教室に通う

















企画書の草案と添削が終わり、今日はこれから友人のh design worksさんとランチしに出かける。

そのランチ場所の近くにある絵画教室に通おうと、昨日見学に行ってきた。中に入れてもらうと、絵の具や粘土の匂いが懐かしかった。絵の先生は、さばさばした感じの魅力的な同年代女性。


最近何かやろうと思うたびに同年代の女性に出会うことが多いが、これはおそらく自分がいわゆる「中堅」になったせいだろうと思う。仕事や生活現場で一番動いている年代ってことね。  

焼き魚のおいしい季節になった。焼いた後の臭いと後片付けの手間を考えて、今度「魚焼きパック」というのを使ってみよう。  

Linocut: 'Two Mackerel' by Richard Bawden

2011年11月8日火曜日

本とカフェ Benedetta



この地に移り住んで、今で4年と4か月になる。越してきた当初から通い続けているのが、近所のブック・カフェ、Benedetta(ベネデッタ)。

同年代と思われる女性店主が一人で経営しているのだけれど、この人の焼くケーキやクッキーは独特の味がする。何というか、硬さや尖ったところがまったくない。有名なパティシエのケーキを口にすると、時々ガラスのような、冷たく鋭い刺激を受けることがあるけど、ここのはそれの対極という感じ。

置いてある本や店構えも同様で、すべてにおいて「ぬるい」。

通い始めた当初は、他の客を見かけることがなかった。店主さんも動きがぎこちなく、カウンターの向こうでよく色んなものを落としていた。訊けば、私が越してきた月に店を始めたばかりだという。大きな窓の向こうを眺めながらお茶を飲んでいると、後ろから焼きたてのクッキーやケーキやお茶のお代わりをおずおずと差し出してくれた。これじゃあ、とてももうからない。

案の定、しばらくすると「出稼ぎに行っています」という貼り紙とともに、店が閉まりがちになった。 私は何となく、自分がただで飲み食いしたせいではないかという気がした。

1年ほど前、店は突然復活した。店主はひと回り痩せていたが、目の奥にたくましい光を宿していた。

最近のBenedettaは、いつ行っても大抵先客がいるか、しばらくすると一人客がひっそりと入ってくる。隅で静かに勉強している学生らしき客もいる。

今度、晩にジャズ・ギターのライブをやるというので、申し込んでみた。

本とカフェ Benedetta:
http://09098605427.0843.jp/
http://ameblo.jp/benedetta203/

2011年11月7日月曜日

8ミニッツ


ダンカン・“デヴィッド・ボウイ”・ジョーンズ監督のSFサスペンス映画、『ミッション:8ミニッツ』を観た。鑑賞後のレビューの中では、「『インセプション』程複雑では無い。しかしラストの予想不可能で楽しさ8倍!」というのが一番しっくりきた。

この作品のように2時間足らずでさらっとまとめてくれると、観る側の負担も少なくていい。休憩なしで3時間なんて、一体どうしろと?(そのうちの5分間ぐらいは確実にトイレのことを考えている)  

そういや、こないだ少し無理したら、予想だにしなかった肩関節周囲炎を患った。いわゆる四十(五十)肩というやつ。  

最初は新しい筋トレ・メニューが合わず、筋肉痛を起こしたかと思っていたのだけれど、痛みがだんだんひどくなってきて、2日目には腕を上げられず、着替えや寝返りに支障が出るほどの激痛となった。筋の中心部ではなくて、その付け根、特に肩関節が熱を帯びている。  

あ、これって学校で何度も習った肩関節周囲炎だ、とようやく気がつくと同時に気が重くなった。これは長引くかもしれない。場合によっては医者に注射を打ってもらわなくてはならぬ。  

藁にもすがる思いで、前に聞いていた四十肩に効くツボというのを試してみた。痛い腕と反対側の脚の付け根(骨盤の出っ張りではなくて、その下の股関節の出っ張り)にある「大転子」を何度か強く押す。すると、10分足らずで嘘のように痛みが消えたではないか。本当にきれいさっぱり、何ともなくなった。  

もともと炎症が軽かったのかもしれないけど、恐るべし、リフレクソロジー。

2011年11月6日日曜日

花と虫


私はベランダ―である。

私は花や草木を愛す。虫とは普段、距離を置いている。

数日前、お気に入りの花の葉に小さな虫がついていることに気付いた。
気味が悪く、触る気にならなかった。
怖々と水をスプレーし、虫を洗い落とした。

今朝、葉の様子を見に行った。
小さな虫が、まだ少しついていた。
今度は水をスプレーすると同時に、素手で虫を払い落とした。
他の葉も一枚一枚チェックした。

虫への恐怖感など二の次。
花がかわいいからできることなのだと思った。

虫にはうちの花は諦めてもらいたい。

2011年11月5日土曜日

タロットの深遠な世界

























タロットに関する本のサンプル訳が完了したので納品した。
依頼主は大阪でサロン・ド・麗明をやっておられるタロット専門家であり、友人でもあるルナさん。

翻訳に際し、タロットについて少しリサーチしたのだけれど、その奥深さに引き込まれた。
「正位置」に対して、上下逆さまのカードは「リバース」と呼ばれることも初めて知った。

この本、うまく出版にこぎつけるといいな。

リサーチの手始めに取り寄せた「はじめてのタロット」という本に
22枚のカードの付録がついていたので、試しに自分の今後を占ってみた。

サロン・ド・麗明:
http://www.uranai-osaka.com/

2011年11月3日木曜日

オーラソーマとカバラ数秘術





















奈良のヒーリングサロン、ミッシェルさんにお邪魔し、ウェブサイト内容に関する提案と添削の依頼を受けた。その際、オーラソーマとカバラ数秘術を体験した。

どちらも初体験だったけれど、どういう人に何を見てもらっても、いつも大体同じようなことを言われるのが興味深い。

オーラソーマに用いられるカラフルな106本のボトルは「イクイリブリアム」と呼ばれ、ミネラル、貴石、クリスタル、ハーブなどの様々なエネルギーを含んでいる。決して色を付けただけの、ただの水と油じゃない(これまでそう思っていた)。

オーラソーマ(Aura Soma)は、1980年代に英国の薬剤師兼カイロポディスト(フットケア専門家)、ヴィッキー・ウォール女史によって考案されたカラー・ヒーリング法。

ちなみに私のイクイリブリアムは、「ドルフィン」という名だそうだ。
 

ヒーリングサロン・ミッシェル:
http://www.geocities.jp/healing_salon_michel/

2011年11月1日火曜日

忙しくない。

 

忙しい、忙しい、忙しい・・・。

と、言いたくない。

自分でわざわざ「忙しくなるように」予定を組んでおいて、
文句を言うなんて滑稽じゃないか。

「忙しいんじゃないの?」
「いや、いつもヒマ」

という会話が理想。
そして人と会った時は、その人だけに時間を捧げられたらと思う。