2011年11月11日金曜日

理想とリアリティの狭間

 

『しろばんば』シリーズを通じて、様々な女性が登場するが、これらの中で唯一リアルなのがおぬい婆さんであると思う。

他の女性は、井上靖の頭の中にある色んな女性のパーツを強調した、顔のない登場人物に過ぎない。洪作の母にしても、従妹の蘭子にしても、寺の娘の郁子にしても、文豪の優れた手で生き生きと描かれているものの、そのキャラクターに対する作家の見解が先に提示されているせいか、「ぜいたくに甘やかされて育った、わがままで奔放で気まぐれな都会っ子の蘭子」という一言で済んでしまう。
 
男性作家が作品の中で女性を描こうとする時、ともすれば自分の女性に対する理想を投影してしまいがちである。そうすると、どの作品を読んでも同じような女性キャラクターが登場することになる。その最たる例が村上春樹ではないだろうか。ノーベル賞獲るかもしれないけど。
  
シリーズ最後の『北の海』で、両親の住む台北へと旅立つ前に、洪作はおぬい婆さんと暮らした土蔵を訪れる。そこで死んだ婆さんに、受験した学校全部落ちたことを報告するヘタレ洪作。するとばあちゃの声が聞こえてくる、「いいさ、いいさ、坊を入れてくれんようなところへは、はいってやらんこっちゃ」。

婆さんにもっと生きていて欲しかった、と心の内を吐露すると、「いつまでも坊の傍に居たかった」と返してくれる。『しろばんば』では、あれほど憎まれキャラだったおぬい婆さん。全身全霊をかけて、ただ一人洪作を守り、愛し抜き、死んでからも彼の唯一の心の故郷である。

実は、この婆さんが井上靖の理想の女性なのではないか。そして、理想であると同時に、ここまでリアリティのあるキャラクターに創り上げた・・・これが、このシリーズが名作たる所以では、というのが今年の所感。