「おい、行くぞ」「暑いから、もうちょっと」 |
この週末は茶会をしながら京都文化を考察する集まり(タイトルはそのイベント名)に紛れ込み、出町柳や一乗寺の雰囲気ある街並みを散策した。
途中やむを得ず、若いメンバーたちの後ろから鴨川の飛び石を飛んで渡った(ここで落ちたら洒落にならない)。叡山電車の一乗寺駅で降り、恵文社で文房具やアクセサリーやカバンを、また途中のアンティークショップで緑がかったびいどろの一輪挿しを買い求めた。
「京都や中崎町のオサレなカフェでまったりする」ことにどこか相容れないものを感じ、「しゃららら系」と呼んで人知れず一線を画してきた自分だが、歳を取ってきたせいか、だんだん人の価値観を批判することに抵抗を感じるようになってきた。いいじゃないか、オサレでも。おいでやす、京都。カフェめぐりのどこが悪い。
自分の周りには、昔からなぜかこの「しゃららら系」の人が集まってくるのが不思議でたまらなかった。しかも彼らは、こちらを同好の士と見ているふしさえあるのだ。
ひょっとして、自分も本当は「しゃららら系」?それを自分嫌さから、素直に受け入れられなかっただけだったとしたら・・・。
帰りの電車を待ちながら、ひとりそんなことを考えていた。