先日、編集者兼ライターの二村志保氏と天満橋でランチをいただきながら、仕事と健康という二大テーマについて語り合った(恋愛と美についてはほとんど話題にならなかった)。
健康面において今一番自分を悩ませているもの、それは右手首の痛みである。「手根管症候群」とも呼ばれるこの症状、原因ははっきりし過ぎるほどはっきりしている:
いい加減、手を酷使するのをやめなさい!(他が原因でなる場合も多いのでご注意。)
二村氏も笑っていたが、朝から晩までPCのキーを叩き、それが終わったら猛烈な勢いで野菜を刻み、余暇はアクセサリーをせっせと作っている。先週末は実家においてあるピアノを数時間も弾いた。筋トレと称してウェイトを持ち上げるわ、腕立て伏せはするわ、自分が手なら、とっくの昔に反乱を起こしているだろう。
特にアクセサリーは、最近ブログを更新していないからといって、もう早飽きたんだろうなどと思わないでいただきたい。この間ひたすら新シリーズの商品開発に取り組んでいたのだ(KAKiブログ参照:http://kaki-apple.blogspot.jp/)。
手が動かなくなったら、生活のすべてにおいて待ったなしに困る。とりあえず、今晩から手を使うのを控えよう。用事のある方はできるだけメールではなく、電話をください。

先日、初めて福島原発事故関連の案件が入ってきた。放射能汚染の心理的影響に関するものだったが、事故から1年半以上が過ぎ、データの蓄積に伴って、今後こうした報告が増えてくると思われる。
しかし、そのような生々しい報告に対する世界の関心はというと、人間自分がイタい思いをするまでは、所詮は対岸の火事。 チェルノブイリ原発事故にしても、同国の報告書に対する国際機関の態度は、科学的慎重さというより、無関心が先立つように見える。
日本も例外ではなく、以前はチェルノブイリなど、社会主義国家のありえない不手際が招いた事故として、冷ややかな目で見ていたのではないだろうか。
その昔、仕事でスロヴァキアの田舎へ行った際、黒く美しい森を指しながら、地元住民が「ここで採れるきのこや木の実は最高だった。でも今じゃ放射能に汚染されているから採取は禁じられている。老人達は採って食べてるけどね」と話してくれたのを思い出す。
その時、この人たちはロシア人のことをどう思っているのか、考えるだけでも暗い気持ちになったが、この図式でいうと、今回の原発事故について日本人は、ただ被災者・被害者として発電所、東電、日本政府ら悪玉に腹を立てているだけでは済まない立場にある。
この土曜日は京都・西陣の空まめさんでKAKi作品の入れ替えをし、心のこもったおばんざいとおもてなしで心身ともに養われた。
その後、ワクワクしながら大阪に出向き、関西ではわりと名の知れたアーティスト・浅山美由紀氏の久々の個展『BORDER ~永遠に変わらないものはない~』を観た。これまでインスタレーションやオブジェが中心だった氏の、初のオール平面作品展となる。
BORDER、すなわち「境界」。この言葉をどう解釈するかは観る側の自由だが、もともと細胞などの有機的モチーフの目立つ浅山作品にあって、今回もまず浮かんだのが「細胞壁」としての境界線だった。内外の圧の違いに乗じて必要な物質を取り込み、増殖・拡大し、不要なものは排出する。
この境界線が、東北大震災によって、そして自身の最近の治療体験によって、揺らぎ始めたと浅山氏は語る。
浅山氏のアーティストトークの様子
たしかに、細胞のような細かいドットは、線の内外にうごめきながら分布している。細胞壁同様、境界線には目に見えない小さな穴が無数に開いていて、有機的交換(交流)がなされているようだ。いや、あるいは最初から、内外などという境界はあいまいでしかなかったのか。
もうひとつ感じたキーワードがある。それは「自己治癒(セルフ・セラピー)」。脳血管障害や精神疾患のためのリハビリテーション・アプローチとして、点描や貼り絵などの繰り返し作業が用いられることが多いが、今回作品群に描かれた無数のドットに、大病を患った氏の自己治癒プロセスを垣間見た思いがした。このような形で提示されたプロセスは、特に自己治癒を必要とする者にとって、感覚レベルで理解できる一つの道標となる(たとえば草間彌生が先駆けて実践しているように)。
ドットが描き入れられなかった余白部分は、波にもまれ、潮に浄化されて、白く強くなった貝がらを思わせた。
大阪・天満橋のあーとスペース夢玄にて、10月7日(日)まで開催中↓
浅山美由紀ブログ:
http://www.eonet.ne.jp/~blcart/diary/diary.htm

昨日は久々に阪大他主催のアートエリアB1で、「サイエンスカフェ・オンザエッジ10 ~ノーベル賞でたどる免疫学の歴史~」を聴講した。
免疫学は以前から特に興味のある分野の一つで、昔たまたま目にした免疫関連の専門用語が、「大食細胞」だの「キラー細胞」だのと何となく面白そうだったので医学翻訳をやり始めたといっても過言ではない。
そのようにして踏み出した一歩を決定づけたのが、優れた免疫学者にして文筆家だった故・多田富雄の『免疫の意味論』(青土社)。こんなに読ませる医学書は他にないというぐらい、文章がうまく、分かりやすい。読者はまるで千夜一夜物語でも読んでいるかのように、めくるめく免疫の世界に引き込まれ、魅了される。人間の身体は神の神殿とはよく言ったものだが、免疫はまさしくその御業。「免疫=神」なのである。
ところでこのアートエリアB1、色々面白い試みをやっていて、自分もこれまで編み物カフェ、参加者による自主映画の制作、問題作『精神』の上映&討論会、哲学カフェなど、10回近く参加してきた。
この秋も色んなイベントが開催される予定だが、他にも多々行きたいところがあり、なかなか参加できそうもない。1年前に見学に行ったきり、ずっと棚上げにしていた美術教室にも来週から通い始めることだし、秋大好き人間はこの時期、異様に活発化するのだ。
ほぼ同い年の槇原敬之がデビューした時は激しく嫌悪した。大学のゆるいイベント・サークルに必ずいそうなタイプ。それがひたすらストレートに、フラットに、「どんな時もー、どんな時もー」としつこく繰り返す。
自分が苦手ということは、時代の主流ということに違いない。実際、彼のこのデビュー曲はトレンディー・ドラマの主題歌にまでなって、どんな時もどんな時もついてきた。
あれから20余年。美輪明宏が作詞作曲したものを彼が歌って現代に甦らせた『ヨイトマケの唄』を好んで聴いている。美輪版を聴くと内臓がでんぐりがえって死にそうになるが、まっきー版ならさらっと聴ける。感動して流す涙もさらさらしている。自分もよく、母ちゃんの働くとこ見たもんなあ。
許容範囲が広がるということだけでも、歳を取るのはいいもんだ。
* * * *
ヨイトマケの唄 by 美輪明宏
父ちゃんのためなら エンヤコラ
母ちゃんのためなら エンヤコラ
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
工事現場の ひるやすみ
たばこふかして 目を閉じりゃ
聞こえてくるよ あの唄が
働く土方の あの唄が
貧しい土方の あの唄が
子供の頃に 小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめぬかれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た
姉さんかむりで 泥にまみれて
日に灼けながら 汗を流して
男にまじって 網を引き
天にむかって 声をあげて
力の限りに うたってた
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た
慰めてもらおう 抱いてもらおうと
息をはずませ 帰ってはきたが
母ちゃんの姿 見たときに
泣いた涙も 忘れはて
帰って行ったよ 学校へ
勉強するよと 云いながら
勉強するよと 云いながら
あれから何年 たった事だろう
高校も出たし 大学も出た
今じゃ機械の 世の中で
おまけに僕は エンジニア
苦労苦労で 死んでった
母ちゃん見てくれ この姿
母ちゃん見てくれ この姿
何度か僕も グレかけたけど
やくざな道は ふまずにすんだ
どんなきれいな 唄よりも
どんなきれいな 声よりも
僕をはげまし 慰めた
母ちゃんの唄こそ 世界一
母ちゃんの唄こそ 世界一
今も聞こえる ヨイトマケの唄
今も聞こえる あの子守唄
父ちゃんのためなら エンヤコラ
子供のためなら エンヤコラ
* * * *
KAKiブログも更新しました↓
「作品紹介2012年9月20日」
http://kaki-apple.blogspot.jp/
ヘヴィメタルやハードロック・グループのアルバムにはバラードの名曲が入っていることが多い。KISSの『ベス』もそんな一曲。
こないだpodcastで70年代ロックを選んだら、「やあ、これはクラシック・ロックのチャンネルだよ!」というMCの後にこの曲がかかり、久々に聴いた。そうか、70年代ロックはもはやクラシックなのか。
* * * *
Beth by KISS
Beth, I hear you callin'
But I can't come home right now
Me and the boys are playin'
And we just can't find the sound
Just a few more hours
And I'll be right home to you
I think I hear them callin'
Oh, Beth what can I do
Beth what can I do
You say you feel so empty
That our house just ain't a home
And I'm always somewhere else
And you're always there alone
Just a few more hours
And I'll be right home to you
I think I hear them callin'
Oh, Beth what can I do
Beth what can I do
Beth, I know you're lonely
And I hope you'll be alright
'Cause me and the boys will be playin'
All night
ベス、また君から電話がかかってきた
でもまだうちには帰れないよ
こっちは曲づくりの真っ最中で、
しかもなかなかまとまらないんだ
あと数時間できっと帰るから
ああ、連中が呼んでいる
ベス、俺はどうすりゃいい?
一体どうすりゃいいんだ?
虚しいのと君は言う
うちは家庭らしくないからと
俺はいつも出かけていて
君はいつも家にひとりぼっち
あと数時間できっと帰るから
ああ、連中が呼んでいる
ベス、俺はどうすりゃいい?
一体どうすりゃいいんだ?
ベス、君が寂しいのはわかっている
頼むから機嫌よくしていてくれ
だって俺たちはどうせまた
一晩中演るだろうから
* * * *
曲調も切ないが、男女の典型的なすれ違いを歌い上げた内容も切ない。女からすると、最後のフレーズは男の勝手さを実によく表しているように思える。
そういや、Freeの『Woman』という曲でも、「俺のもの、全てお前にやろう。ギター以外はね。あと、クルマも」というくだりがあるが、曲調がハードボイルドでかっこいいだけに、いつもここを聴くたび、なんじゃそりゃ、とちょっと笑ってしまう。もう、男ってやつは!
KAKiブログも更新しました↓
http://kaki-apple.blogspot.jp/
先日、たまたまNHKの番組(100分de名著:Eテレ毎週水曜日11:00~11:25)で高名な精神医フランクルのベストセラー、『夜と霧』が取り上げられていたので、思わず見入った。
この本はかなり昔、いわゆる「アウシュビッツもの」を読むのが辛すぎてダメだった時期に、一度手に取りながらも書棚に戻した記憶がある。
でも今回はぴんと来たので、即座にアマゾンに注文した。数日後、ちょうどそれを読み終わる頃には、ルシ夫が申し合わせたように同番組のテキストを買ってきた。
そんなわけで、ここ最近はフランクルの思想にどっぷり浸かっている。
『心理学者、強制収容所を体験する Ein Psycholog Erlebt das Konzentrationslager 』という原題のこの本は、ナチス収容所での体験を内側から見た貴重なドキュメンタリーだが、その内容は決して専門的、あるいはジャーナリスティックなものではない。
「言語を絶する感動」と評され、新訳者をして「そこにうねる崇高とも言うべき思念の高潮に持ち上げられ、人間性の未聞の高みを垣間見た思いがした」と言わしめたように、テーマは普遍的である。人間の偉大と悲惨をあますところなく描きながら、読後に一生分の希望をもたらす。
こんないい本に出会えて、今年はなんていい年なんだ(どうりで色々と悩み深いと思った)。しかもまだあと4か月も残っている。ちなみに、「100分de名著」のフランクル特集もまだあと1回残っている↓
NHK「100分de名著」8月の名著:
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/index.html#box04