2011年12月14日水曜日

瞑想のための物語




















精神統一に限らず、どうしたらいいのか分からない時にも瞑想をする。

答えを見つけるというよりは(そんなものそう簡単には見つからない)、井戸のようなところに「問い」を投げかけ、安心して帰ってくるだけのこと。パン焼き器にタネを放り込んで、タイマーをセットするような感じと言ってもいい。
 

瞑想というと、急にインド人のようなポーズになって、呼吸に意識を集中したり、ロウソクの火を見つめたり、チャクラだの、オーラだの…とやたら神がかってくるが、日本にはもともと座禅があるので、わりと身近な行為のはず。要は頭から余計なものを取っ払うことができさえすればいいわけだ。

自分も長年、思うように瞑想ができなかった。試行錯誤の末にようやく行き着いたのが「物語」。やり方はこのとおり:

楽な姿勢で目をつぶる。すぐにお馴染みの「階段」が目の前に現れる。自分の場合はなぜか断崖絶壁の頂上に立っていて、足元がぱっくり割れると、そこから下へ下へと続く長い階段になっている。そこをひたすら下りていく。かなりの急傾斜なので、時々滑って落ちたり、ワープしたりする。

そのようにして、「底」にたどり着く。そこには「ドア」がある。それを開けると、向こう側にはこじんまりとした海岸が広がっている。海岸にはベンチがあり、誰かが座っている。近づいてみると、それは「自分」だった。その「自分」に、「問い」をきっちりとメモ用紙に書いて手渡す。そして岸につないである「小舟」に乗って、海を渡るというもの。海の先は、現実の世界に続いている。

この間、何も不思議なことは起こらない。ただせっせと「階段」を下り、「底のドア」を開け、「自分」に「問い」を渡すだけ。精神統一したい場合は「問い」の代わりに、「精神統一したい」と書く。

これを毎回、不思議な信頼感をもってやっている。