2011年11月30日水曜日

パッセンジャーズ・ハイ



















フィンランドへの出張が続いたある時期――。その時もヘルシンキ行きの機中だった。

ちびちびワインを飲みながら音楽を聴いていると、今まで味わったことのないような強い恍惚感とともに、自分の身体が宙に舞い上がるように感じて、思わず座席にしがみついた。

「ランナーズ・ハイ」ならぬ、「パッセンジャーズ・ハイ」。

機内環境とアルコールの影響もあるだろうが、その後何十回と飛行機に乗り、同じように(あるいはもっと多量の)アルコールを摂取したのに、このような体験は一度きり。

音楽の、いや、この曲のせいだと思う。ヴァイオリニストにとって難曲といわれるシベリウスの『ヴァイオリン協奏曲』。ちなみに自分が「飛んだ」のは、第二楽章の最後の山場だ。

その後たまたま手に入れたのはフェラス&カラヤン&ベルリン・フィルによるもので、やや派手すぎるきらいがあるけれど、名盤といわれるだけあって、とにかく演奏に艶がある。

シベリウスを生んだフィンランドの静謐でぼくとつとした空気を感じたいなら、やはりフィンランド人演奏家&フィンランド放送交響楽団によるこのアルバム(↑)がおすすめかも。

2011年11月29日火曜日

アメリカ
























自分の夢のレベルは低い。なので、よほどのことがない限りほぼ毎日叶う。

でも昔から繰り返し頭に浮かぶ一つのイメージがあって、死ぬ前にそれを具体化するというのが一応夢らしい夢かもしれない。

それはなぜかアメリカの大平原だ。そこに腰を下ろして満天の星空を見上げている自分。

先週末、アメリカから遠い親戚が来日したので、おもてなしする機会を得た。別れ際の"Why don't you come and visit us to America?"という言葉に、一人こっそりと拳を固めていたのは言うまでもない

アナタノユメハナンデスカ?

2011年11月28日月曜日

ネギ畑とお姫様




















うちのベランダには葱専用のプランターがある。「ネギ畑」と呼んでいる。

市販の葱を買ってきた際に根っこの部分を多めに切り落とし、水を吸わせた後にプランターの土に挿しておく。2週間ぐらいで20cmほど伸びるのを「収穫」。

 








大胆な挿し方の例



もちろん大した量は獲れない。収穫した僅かな葱を自分の味噌汁などに入れて喜んでいる。

室内には別のプランターがある。この春に買い求めたのだけれど、暑さに極端に弱く、西日の当たる部屋に置いておけない。とはいえ、日陰に置きっぱなしにすると生気がなくなる。その加減が難しく、夏の間一日中家のあちこちに移動させて大変だった:
 

「姫っ、大丈夫でござるか?!」
姫は早くも昼過ぎから暑気にやられてぐったりしている。すぐに霧吹きで水を吹きかけ、涼しい北側の仕事部屋に連れて行く。しばらく机に向かった後に振り返ると、先のうなだれようが嘘のようにしゃんとしている。


お姫様はデリケートであると同時に非常に分かりやすかったりもする。

2011年11月26日土曜日

インド料理屋のチーズ・ナン




















インド料理屋がわりと好きで、1、2か月に一度は入る。いわゆるカレー屋ではなくて、ショーウィンドーみたいなキッチンでインド人やネパール人コックがナンをこねていたり、壺の中をつついていたりするようなところがいい。

先日、以前から車で通りかかるたびに気になっていた「薬膳カレー専門店」というのに入ったら、普通のインド料理屋だった。

店内は近所の人々で賑わっていた。よほど美味しいのだろうと思ったら、期待以上の味とサービスで、ここ5、6年の間に試したインド料理屋の中でも一番の当たりではないかと思う。

小さめのコースを頼んだつもりが、一皿一皿がやたらと大きい。カレーの旨味が違う。チーズがたっぷりと入った大きなナンまでついている。それなのに、なぜかこんな日に限ってすぐにお腹がいっぱいになり、あまり食べられない。もっと小さなコースにすればよかったと悔やんだが、時すでに遅し。

何とかカレーをたいらげ、あとは店に無理を言って持ち帰ることにした。こないだ、その時のチーズ・ナンを蒸し直して朝食に食べたけれど、もっちりとして美味しかった。

ご馳走を目の前にしながら胸がいっぱいで食べられないということが、小さい頃からよくある。そういう時の悔しさは如何ともしがたい。胃の大きさよりも食い意地の方が勝っているということだろうか。

2011年11月25日金曜日

冬も喜び
















冬という季節が深まるにつれ、期待が高まっていく。

期待といっても別にクリスマスや正月を待ちわびているわけではなく、得体の知れない高揚感が奥の方からふつふつと湧き上がってくるのだ。

年々温暖化とプラスチック化が進む現代において、自分のこの気持ちをすくい取ってくれるものは見当たらない。

それは、ヴィヴァルディ作『四季』の協奏曲の一つ、「冬」につけられたソネットの中にある:


冷たい雪の中で寒さに震える
厳しい風が吹き付ける
絶えず足踏みしながら走る
寒さのあまり歯の根もあわない

暖炉の側で静かに平和な時を過ごす
雨に濡れる外
氷の上を歩く、ゆっくりと注意して
転ぶといけない

急いで足を滑らせ転んでしまう
また氷の上を歩く
急いで走れば氷は砕けて飛び散った

東南の風、北風、全ての風が争いながら
閉じた扉から入り込むようだ
これぞ冬
されど冬も喜び


この協奏曲の中では第1楽章が最も好きだ。

厳しい冬には独特の華やぎがある。
そういう意味では黒という色に似ている。

2011年11月24日木曜日

ヒアアフター








 









夕食後にクリント・イーストウッド監督の『ヒアアフター』をiTunesでダウンロードして観た。

去る3月に前売り券まで買って楽しみにしていたら、封切直前に東北大震災が起こり、冒頭の津波のシーンが問題となって日本での上映が取り止めになったという、いわくつきの作品だ。

「ヒアアフター」とは、映画の中では「来世」と訳されているけれど、直訳すれば「これ以降」「ここから先」という意味。契約書なんかで名称を短縮する時、「Hereafter, XXX(以下、○○とする)」というふうに用いることが多い。

問題の津波のシーンも、しっかり見届けた。が、そのリアルさゆえに自分のような非被災者でさえ、気持ちが動揺せずにはいられなかった。身近な人々を襲った大きな災難。どうしても重なってみえる。

映画の出来自体については、やや焦点がぼやけているものの、「死後の世界」という色々な意味で難しいテーマを静かなトーンで、SFやオカルトとしてではなく日常的なものとして描き切ったところが評価できる。

「死後の世界があるかどうか、真実は誰にも分からない。ただ、人は誰しも与えられた人生を精一杯生きるべきだ、と私は常に信じている」とはイーストウッドの弁。超メジャーなハリウッド監督が映画界で長年タブーとされてきた「スピリチュアルもの」に正面から挑むことで、『奇跡の輝き』などの不発感拭えぬこの分野に新たな風穴を開けようとする試みか。

今後同類の映画が増えると予想される。

2011年11月23日水曜日

きのうの夜は


















 


きのうの夜は、地元でそれぞれ美容系サロンを経営している女性二人のお誘いで、家の近くの寿司屋で飲んだ。先日の誕生日祝いにと、アフタヌーン・ティーのブランケットまでいただいた。

お寿司屋には予約時に低予算を伝え、その中で料理と飲み物が収まるようにしたいと無茶なお願いをしたところ、女子会歓迎の意を込めて盛大にサービスしてくれた。こちらはどちらかというと飲み専なので、料理がかなり余ってしまい、申し訳なかった。

器の大きい彼女らとの会話は刺激的で楽しかった。次回と次々回の飲み会を約束し、夜中12時頃に別れた。